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2013/07/01

――どうしてこうなっちゃったんだろう。

散乱したカラトリーと、ぶちまけられたミートソースのスパゲッティと、割れた皿を前に私はぺたんと座りこんでいた。髪から滴り落ちる玉葱のドレッシングをとりあえず払ってしまうと、後は無力感しか残らない……わけでもなくて、ただひたすら、茫然としていた。え、何これ。何これ? 今わたしが体験したのは、なんか新手の災害だったのだろうか。

そういえば人災って言葉があるなと思いながら、わたしは目に付いた破片を拾って歩いた。床を這いつくばって一枚一枚を丹念に探した。割れたのはお気に入りの深皿で、レースみたいな幾何学模様が薄く入っているのに一目ぼれしたものだった。サラダボウルは無事だった。さすがプラスチック製だと感心した。

立ちあがってゴミ袋を持ってきて不燃と可燃でゴミを分け、食べられないまま床に落ちてしまったスパゲッティを捨て、わたしはのろのろとシャワーを浴びた。温められたせいか、殴られた口の端がじわじわと痛んだ。タオルで髪を拭きながら居間に戻り、掃除機をかけ、口の端にオロナインを塗った。

その間に人災はどこかへ去って行ってしまったようだった。

 

優しい人ほどキレたらこわいっていうから気を付けなね。

冗談交じりでそう言った親友は正しかったのかもしれない。あれはわたしたちの結婚式だったか、その前だったか。万事に雑で切り替えの早いわたしと違って彼はマメで気の付く男で、例えばお中元だのお歳暮だのを選んだり送ったりするのはいつも彼の仕事だった。そのかわりゴキブリを見つけた時に倒すのはわたしだったし、電球が切れたりしたとき脚立を持ち出してくるのもわたしだった。仕事もまったく違う畑で干渉することもなかったし、彼との生活は恋愛の延長というよりもよき共同生活者といったような趣が強いものだった。すくなくともわたしにとっては、彼は恋人や夫と呼ぶよりはパートナーとか相方とか、そういう感じの生き物だったのだ。

それで2年間、わたしたちは上手くやってきた。口げんかもしなかったし行き違いもなかった…はずだ。たぶん。断言できないのは目の前に急に出現したゴミ袋が二つあるからで、わたしは未だになんで彼が怒ったのか、しかもわたしを殴るほど興奮したのかがまったく分からないのだった。

何が気に入らなかったのだろう。ミートソースが出来合いだったから? でもそんなのはいつものことだ。それともわたしがだらしない格好をしてたから? 休みの日はいつもこうだ。それで彼が怒ったことは一度もなかった。ひょっとしてつもりつもったものが爆発した? そんなもの、言われなければ分からない。

ためいきをついて、わたしは鍋に水を張るともう一度湯を沸かし始めた。スパゲッティは面倒臭いのでインスタントラーメンの封を切ってかやくを入れて、沸いたお湯を注いで待った。きっかり三分間で蓋を開け、ラーメンを勢いよく啜った。切れた口の端がまた痛んだ。

 

慣れないことをして彼は飛び出していった。断言できるが財布は持っていないだろう。だとしたら彼は帰ってくるしかない、ここに。わたしと彼の家に。どんな顔で帰ってくるかも想像がつく。たぶんひどくしょげかえってくるのだと思う。仕事でうまくいかなかったときや何か良くない知らせを抱えて帰って来た時のように、肩を落として眉を下げて。

そのときわたしはどんな顔で迎えたらいいのだろう。

 

でもそれはそのとき考えることにして、わたしは今はラーメンを食べる。腹が減ってはいくさはできない。彼のことを迎えにもいけない。だから今は、無心で食べる。ずるずると音を立てて、まだ痛む口の端を感じながら。
彼のことを考える。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2013/07/01 11:15 | momou | No Comments