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今朝、バスルームの不具合があって工事をお願いした。
工事にやってきた顔なじみのボスは、玄関を開けた私に一番初めに言った。
「今日は、3月11日だね」
2年前の今日、私は渋谷のオフィスにいた。
ビルから見下ろした渋谷の街は夜になってもすごい人で、一人で自宅のある日本橋まで歩いて帰るのが怖くて、同僚たちと会社で一夜を明かした。
次の日の朝、オフィスから見た朝日が今でも忘れられない。
朝がやってくる。
この当たり前のことがこれ程ありがたいことなんだって初めて感じた。
震災から2年。
今でもマレーシアの人は「TUNAMI」のことを心配してくれる。
マレーシアにやってきてから何回も「地震のあった場所は日本のどのあたりなの?」「今はどうなっているの?」と質問された。
遠い国の出来事。
私たち日本人は、海外で大きな震災や戦争やテロがあると少なからずそう思ってしまう。
日本のニュースは「被害者の中に日本人はいない模様」と伝える。
けれど、マレーシアにいる人々は被害にあったその国の人の心に寄り添おうとする。
とても悲しい2年前の今日の出来事から、日本人・・・いや世界は何を学んだんだろう。
偉大なる地球に生かされている。
私はこんなことを学んだ。
そして、一つの地球にいる人々は、肌の色や言葉が違っても、人の心を感じ悲しみを分かち合おうとするのだということも学んだ。
異国の地にやってきて、さらにその学びは心に深く広がった気がする。
当たり前のようにやってくる明日は、実は当たり前ではなくて奇跡的な偶然の上に成り立っている。
今日も生かされているという奇跡をありがたく思う。
毎日5回、感謝の祈りを捧げるこの国からこんなことを学んだ気がする。
今も悲しみを抱えている人々のことを思って、マレーシアの空を見上げた。