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2013/03/11

地球の舳先から vol.268
イスラエル編 vol.3(全14回)

タクシーを呼んでもらい、朝、また列車に乗ってエルサレムへ向かった。
イスラエルは列車が発達している国ではなく、上り下りの各1本だけ。
シンプルなので、主要な土地を観光する分には、迷わないし使い勝手もいい。
ヘブライ語の自動券売機もあるが、窓口で行き先を言ってチケットを貰う。
運航時刻は電光掲示板。やはりIT国家であることは間違いないようだ。
テルアビブ~エルサレムの鉄道は、「地球の歩き方」によれば下記のようにある。

“イスラエル鉄道のなかでも昔の面影をよく残している路線がある。それがテルアビブ~エルサレム路線だ。この路線のもとになったのは、ヤッフォ・エルサレム鉄道だ。英語ではヤッフォもエルサレムも頭文字がJであることから、JJ鉄道と呼ばれ、この頃、ヤッフォはジャッファ・オレンジの輸出港として繁栄を謳歌していた。
テルアビブを出た列車はエルサレムへとひた走る。現在では蒸気機関車の代わりに、IC3という、デンマークのディーゼル気動車が使われている。
テルアビブ・ハガナー駅からロッドまでは約10分。ロッドの隣町、ラムラを過ぎると、いよいよ列車は農村地帯へと入っていく。次の駅ベト・シェメシュまでの30分ほどの間、ぶどうやオリーブやオレンジの畑が森や草原に挟まれるように続いている。ベト・シェメシュから50分でエルサレム・マルハ駅に到着。この両駅間が最もJJ鉄道の面影を残す区間だ。”

これは鉄道好きのわたしには見逃すことはできない。
空港からエルサレムと反対方向のテルアビブで1泊したのはこの鉄道に乗る目的もあった。
駅のホームの自動販売機でコーヒーを買い、乗車。
朝焼けが照らし出す、オリーブ畑やブドウ畑。緑が続いた後、
列車は高度を上げ始め、ごつごつした岩山と、砂漠地帯の様相を呈し始める。
たった1時間半の間に、くるくると景色の変わる、飽きない車窓。

 

ガラガラを引きながらエルサレムでタクシーに乗る。
そして、最初の目的地でタクシーを降りた瞬間、わたしは茫然とした。
タクシー代が高過ぎるのである。これでは午前中だけで破産する。
しかし今回はテロの可能性を考えて公共交通機関は断じて避けると決めていた。
すると、歩くしかないわけだが…ここはエルサレム南西郊外のエンカレム。
とりあえず、……お金を下ろしに行った。

渋滞の手前でタクシーを降りて、山沿いを歩こうと歩道に出たわたしはまた絶句した。
ただでさえ標高の高いエルサレムの、そのまた山奥にあるこの場所からは
エルサレムや郊外の街並みが一望できるのだが、下界が雲に覆われていた。
まるで天空にいるかのような、荘厳で神々しい光景。
そうそうよくあることでもないらしく、地元の人も車から降りて写真などを撮っている。

最初の目的地はその先の「ハダッサ病院」。
真っ先にそんなところへと思われるかもしれないが、わたしは海外へ行くと、学校や病院を見るのが好きなのだ。国のありようや何やらが、顕著にあらわれる気がして。
それに、誰でも入れる病院内のシナゴーグには、シャガールのステンドグラスがあるらしい。
戦争で破壊されたときも、シャガールは作り直してくれたのだという。
いまだ増築を続けている高層の病院は新築のように綺麗で、投資のほどがうかがえる。
イスラエルといえば、ITと医療。当たり前か。

 

病院には大型ショッピングセンターも隣接しており、フードコートで昼食を取りながらひとり作戦会議をすることにした。
頼んだのはイスラエル名物、肉の薄切り「シュワルマ」。よく渋谷あたりのキッチンカーで肉塊を削いでいるアレだ。トマトとキュウリのイスラエルサラダと、フライドポテト、ピタパン、ピクルスや玉ねぎなどの付け合わせがついてくる。美味。だが多い。そして高い。

ガラガラを引いたままわたしは結局、路線バスに乗った。
なんだか、どうも、危険の気配がしないのである。
いや、自分の第六感なんて、まるで信用はしていないけれども。
バスに乗る予定などしていなかったので、何番のバスがどこへ行くのかがまったくわからない。
バス停には、そのバス停に停まるバスの番号が書いてあるが路線図までは書いていないのだ。
GPSを起動してGoogleMapを開き、方向性が違ってきたらなるべくたくさん色々な番号が書いてあるバス停で降りて乗り換える、ということを繰り返した。
切符に書かれた時間以内なら、乗り換えをしても追加料金もかからないという。
本数も多く、バスを駆使することができれば、観光はかなり便利だろう。
ただし、重ねて言うがおすすめはしない。路線バスは自爆テロの標的の筆頭株なのだ。
そして自爆テロは必ずしも政治や治安の状態と比例して起こるものではない。
いつ、どこで犠牲になってもおかしくないということだけは、しつこく明記しておきたいと思う。

 

そんなこんなで第二の目的地、ヤドバシェム(ホロコースト記念館)へ到着することができた。
ユダヤ虐殺を記録した博物館。ここもやや郊外にあるのだが、素通りはできない場所。
ガラガラを引いたまま、坂を上がったり下ったり。
静かな森の中に、近代的な建物が見えてくる。
中はいくつものフロアに、写真をメインに展示品、映像などが続く。
ここの圧巻はやはり、最後の円形のホールに天井まで、犠牲者の写真が飾られたコーナー。
ビートたけしが東日本大震災の事を「1人が死んだ事件が2万件あったってこと」だと表現したが、確かにそういうことなのだろう。
ホロコーストに関しては実際に何人の人間が虐殺されたのかはブラックボックスだが…。

逆に思ったのは、イスラエルはこういう歴史を、本当にきちんと自国民に教えているのだろうか?という事。いや、当然、教えているだろう。比較論になってしまうが、この国がいかに民主国家かということは肌で感じていた。
でもそれなら、なぜ、パレスチナの人々に、あんなことができるのだろうか。
「ホロコースト」の被害者だった彼らは今、加害者となって、結局「ホロコースト国家」の筆頭格になっていはしないか。ユダヤ人は等しく卑しい、と考えたかつての人々と、パレスチナ人は等しくテロリストだ、と考える今の人々に、残念ながらわたしは共通点しか見出せなかったというのが、率直な感想だ。

館を出て、バス停近くの大通りまで戻ると、非常に近代的なトラム(路面電車)が走っていた。
これでエルサレムの市街地までぴゅーっと行けるのだという。
相変わらず、アップデートの遅い地球の歩き方には「2011年開通予定」などと書いてあり、まったくやる気が感じられない(実際、現地入りはしていないのだろう)。
さすが観光地エルサレム、券売機も英語対応。
わたしはようやくガラガラから手を離して、席におさまった。
さて、これから、エルサレムの代名詞、旧市街へと向かう。

 

つづく

2013/03/11 08:00 | yuu | No Comments