« なんで続けているんだろ…(後編) | Home | 箸墓のこと »
さあ、2月も今日でおしまいです。
尻に火がついてきたところで、もうひとつコラムをお届けいたしましょう。
今回は、前回の続きということでカメラのお話をまたさせていただきます。
そういうわけで、1990年代のchoreography撮影はコンパクトカメラ+高感度フィルムという組み合わせで、もっぱら行っておりました。
しかしご存知のとおり、カメラのフィルムは長くても36枚撮りまでで、フィルム交換の間にいいシーンを撮り逃すこともよくありました(苦笑)。
お金に余裕があれば、カメラを2台用意してかわりばんこに撮影すればよいのですが、あいにくそこまでの余裕はありませんでしたしね。
こうして、choreographyの撮影にいそしんできたわけですが、フィルムカメラというものは一瞬を切り取るものなので、動きのあるchoreographyの撮影では「ここぞ」という一瞬にタイミングを合わせてシャッターを切ることが、実に難しいものです。
これは数十年続けていても、自分でもまだまだだなあと感じております(苦笑)。
だいたい、ファインダーからのぞいて「あ、これだ!」という瞬間を見てからシャッターを切っても、もう遅いのです。
ですから、何十枚何百枚と写真を撮ってもそのうち観賞に値するショットは、せいぜい数枚程度といったところが実情でした。
そして私は、自分なりの格言らしきものを作って自戒するようになりました。
「シャッターチャンス!と思ったときには、もう遅い」
ではどうすればよいかというと、「正解」といえるものがまたないんですよね(苦笑)。
ある程度場数を踏めば、演技の流れから「ここらへんなら」という部分がなんとなくわかってはくるのですが、結局は「カン」が頼りということになりますか(爆)。
しかしまあ、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という言葉もあるように、何枚も撮っておけばいくつかは使えるショットも偶然撮れたりするもので、これを地道に積み重ねていくということではないでしょうか。
というわけで、1990年代後半の私の作品からもう少しご紹介してみましょう(笑)。
こちらは、1995年に今はなき横浜プリンスホテルで撮影した、新彊ウイグル自治区雑技団のコントーションのパフォーマンスです。
横浜プリンスホテル内の中国料理レストラン「李芳」で、当時は毎晩中国雑技の公演があり、料理を楽しみながらchoreographyを観賞できたのです。
このときは燭台のロウソクの光を際立たせるために場内を暗くした演出だったのですが、ここで高感度フィルムが活躍してこのような写真を撮ることができました。
中国雑技にしては、衣装がなかなかセクシーだったのも魅力的でした(笑)。
少数民族であるウイグル族によるパフォーマンスだったからこそ、でしょうか。
よし、これで今月のノルマはなんとか果たしたぞ(爆)。
3月はもう少し、間隔を整えましょう(苦笑)。