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2013/02/28

こんにちは。諒です。

2月も終わりと言うのに、寒い日が続いて悲しくなってきます。そんな毎日ですが、心魅かれるニュースがひとつ。

宮内庁が管轄している陵墓への立ち入り調査が近年、徐々に認められるようになってきています。2月20日には箸墓古墳に研究者が入って見分を行うと、大きく報道されました。箸墓古墳は、現在の奈良県桜井市にある全長280メートルの立派な前方後円墳で、3世紀中ごろに建造された、古墳時代前期を代表する古墳です。第七代孝徳天皇の皇女 倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)の陵墓と治定されています。

今回の調査、とってもロマンを掻き立てられる魅力的なニュースなのですが、私個人が残念に思うことは、この古墳を「倭迹迹日百襲姫の箸墓古墳」として正面から紹介する報道が全然無いことです。

まあ、いつものことと言えばそうなのですが、この古墳に対するメディアの注目は、専ら邪馬台国の女王 卑弥呼の墓かどうか、その証拠が出てくるか、ということに尽きます。

はっきり言いまして、そんなこたどーでもいい、と思うわけです。個人的には。もちろん、調査の結果として邪馬台国を証明するようなものが見つかれば(何がそれに当るのかは専門家ではないのでわかりませんが…)大層、面白かろうと思いますが、「箸墓」を調査すれば卑弥呼がわかる、みたいな先入観に満ち溢れた報道は、却って古墳の魅力を損ねているような気がします。それよりむしろ、「箸墓」の伝説を有する古墳であることの方が、よっぽど興味を魅かれるのです。個人的には。

倭迹迹日百襲姫は、『日本書紀』によれば、第十代崇神天皇の世に亡くなりました。その時の話が、以下のように伝わっています。

 倭迹迹日百襲姫は大物主神(三輪山の神。箸墓はこの山の麓にあります)の妻となります。しかしこの夫、夜にしか通ってこないために、姫は未だ夫の姿をはっきりと見ていなかった。そこで、夫である神に「お姿を見たいので、明るくなるまで留まってくれないか」と頼みます。神は承諾し、「櫛笥」(櫛を入れる笥)に居よう、と言いました。また、同時に「願わくは吾が形にな驚きそ」(私の姿に驚かないでおくれ)と驚くことを禁じました。

 さて、明るくなってから姫が櫛笥の中をのぞきますと、そこには「美麗(うるは)しき小蛇」がおりました。姫は驚きのあまり叫んでしまいます。すると神は、「お前は我慢せずに私に恥をかかせた、私もお前に恥をかかせよう」と言って空を踏みとどろかして山へ登って行ってしまいました。姫はそれを仰ぎ見て後悔し、尻餅をついたところに箸を突き刺してしまい、亡くなったのです。

 そのため姫を葬った墓を、「箸墓」といいます。この墓は、日中は大坂山の石を人が手から手へと渡して運んで造り、夜は神が造り、そうして築造されたものなのです。                                     (『日本書紀』崇神天皇十年九月条)

『日本書紀』には、これ以降、「箸墓」の付近であった戦のことなどが書かれてあって、その記事から位置を察するに、現在の「箸墓」が、『日本書紀』編纂当時から既に「箸墓」と呼ばれていたと考えられています。また、周辺に残る古墳の石が、実際に大阪府柏原市から運ばれたものであることが材質の調査からわかっています。

古墳が、ほんとうに倭迹迹日百襲姫の墓かどうかはわかりませんが、伝説の背景には、三輪山や「箸墓」が信仰(祭祀)の対象であったり、築造の秘話が存したりして、それらは決していい加減なものではありませんでした。伝説は、「今」、目の前にあるものに対する理由づけであったのです。

現在、考古学の方法で、かつて伝説からは遺漏した、被葬者や築造の実態という、古墳に関する新たな説明づけが可能となりました。しかし物証をもとに考察される実態は、伝説に相反するものではなく、人の営みとして伝説と相互するものだと思います。思考と実態、といった関係でしょうか。なので、折角、話としても面白い伝説が残っているのですから、邪馬台国ばかりでなく、伝説と実態との関連性や齟齬が、どんな風に明らかになって行くのか、そうしたことに夢を見てもよいのではないかな、と報道を見ていて感じたのでした。

何やらまた感想文になってしまいましたが、感想ついでにもうひとつ、残念なこと。

某局のニュースでアナウンサーが、「ヤマトトトヒモモソヒメ」をお約束通りに噛んでいました。確かにこの名前、「ト」が三回、「モ」と「ヒ」が二回も出てきて、まるで暗号のよう。でも、こうした名前を覚え(別に覚えなくたっていいんですけど)、すらりと言うことのできる方法があります。

上代文学にあらわれる神名はほとんどすべて、意味があります。どういう神なのか、名前でわかるようになっているのです。全てではありませんが、同じことは人名についても言うことができます。名前が複雑且つ長いのはそのためです。まあ、現在では意味のよくわからない名前も沢山あるのですが。

倭迹迹日百襲姫の場合、一部わからない箇所はありますが、大体の構成は分析されます。ヤマトは「倭の」。トトがよくわかりませんが「ヒ」はおそらく「霊(ヒ)」で、トトヒ。モモは「百の」でソに冠されていると考えられるので、モモソ。ソも明確ではありません。全体としては、「ヤマト/トトヒ/モモソ/ヒメ」と区切ることができます。

この区切りさえ知っていれば、喋るのが苦手な私でも、あまり噛みません。リズムもなかなかよいですし。上代神名・人名の発声豆知識でした。

名前については、またこまごまと調べて書きたいと思っています。では、今回はこれまで。

2013/02/28 11:25 | rakko | No Comments