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2013/02/09

こんにちは。根本齒科室の根本です。

予算委員会、YouTubeで見ましたが、初日から面白かったですね。

 レーダー照射の報告が遅れた ← 民主政権時代は公表せず政治判断で隠蔽?
 グーグルアースで船が分かる ← 船は動いてるんですが何か?
 日銀の独立性がそこなわれる ← 「外債を買え」と日銀に言ったその口で?

さっそくのブーメラン連発、野党になって本来の切れ味を取り戻したというか
大いに楽しませてもらいました。
ここ数日、鼻の調子が苦しいというのにw

  あ      べの        み      くす

安 倍 美 楠


あまりにも時宜に合致しすぎて、逆に追及ネタに苦しむ野党に、ある意味同情します。
「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」「欲しがりません長妻では」うん、企業努力ですね。
ところで、

「日銀の独立性」最近この言葉をよく耳にします。
「手段の独立」同じくらいこの言葉も耳にします。
「ガバナンス」さらに多くこの言葉も耳にします。

歯医者の立場で、この言葉を聞くと、若干「どきっ」とするところがあります。

それは歯科治療自体がブラックボックスな面を大きく持っているからです。
時たまそれに気づくのは、こんな時です。

《ケース1 (古い)自民党型『無謀系』》

根「今日はどうされましたか?」
患「ここが痛いので、○○してください」
 「ここをこう削ってください」
 「ここを抜いて入れ歯にしてください」

根「(えっ「○○してください」?ちょっとまった) はぁ・・・」

(あぁ、歯科治療って、こんなにも透明性・互換性が高いものだと思われてるのか)
継続通院中の方よりも、新患の方とか、久しぶりの来院の方で目立ちます。

たとえば、非常にシンプルなので「差し歯が取れたのでつけて欲しい」というのがあります。
そんなときでも私は

根「はい。じゃあつけますね」

とは絶対に答えないのです。

根「はい、じゃあちょっと診てみますね

が正解です。
こんなに簡単に見えることでも、まったく要望に応えられないことも多々あるのです。
診てみたら

 断面がむし歯だった
 神経を取った後の防腐処置がない
 歯にひびが入っている
 適合が合わないので入らない
 歯肉がおおいかぶさっているので入らない
 放置したので周囲の歯が動いて、入らない
 ・・・etc

ざっと並べるだけでも、「そのままつけられない」多くのリスク要因があります。

患者様のご要望はご要望です。
しかし、必要な結果は以下のように多岐にわたります。

 断面がむし歯だった
  →むし歯を除去して再接着or新製
 神経を取った後の防腐処置がない
  →同意を得て、防腐処置(感染根管治療)後に新製
 歯にひびが入っている
  →長期保存が不可能だと説明して、経過観察か欠損補綴
   (インプラント、ブリッジ等)
 適合が合わないので入らない
  →調整して再接着or新製
 歯肉がおおいかぶさっているので入らない
  →同意を得て、歯肉整形(局所麻酔)後に再接着or新製
 放置したので周囲の歯が動いて、入らない
  →人工歯or周囲を調整して再接着or部分矯正して新製
 ・・・etc

このように、大枠の方向性が「2%物価目標」「機能と形態の復旧」「雇用最大化」でも、
具体的手法が専門的で多岐に渡るときは、「手段の独立」が欠かせません。

こう考えると、「○○チーフエコノミスト/チーフストラテジスト」などの旧御用系学者が、
未だに信頼性に乏しい硬直した意見しか出せないのもうなづけます。
何と言っても、具体的なごちゃごちゃした内情に接しないで書いているのですから。

「元日銀」「元財務省」などの「元○○」も、非常に??です。そもそも視点が古くて狭そうだし。
「超ナントカ」とか、法王じゃない方の白川さんとかw
こういう輩に限って、分かっていそうで一番勘所が分かっていないのかもしれません。
たとえば「元歯医者→現健康評論家」とか、考えるだけでも最高に怪しいでしょwwwwwwww

だから
患「ここが痛いので、○○してください」
への答えは
根「はい。じゃあつけますね」
ではなく
根「はい、じゃあちょっと診てみますね」

が正解なのです。これが「手段」の独立性の第一歩なのです。

いっぽう、「目的」については、主権者の代表である政治との対話・協調が大事です。
そのためには、十分な専門的な知識や具体的な内情の『共有』つまり「ガバナンス」が欠かせません。
それは、日本は民主主義の国で、主権者は国民だからです。

とうぜん同じことは国民の電波と視聴料に依るNHKにも言えます(視聴者のみなさまと語る会)。
「民は之由らしむ可し知らしむ可からず」を曲解して安心しているようではダメです。

もうこのネットの時代、昔のように新聞・テレビ・旧御用系学者の
 報道しない自由
 ポジショントーク
は通用しません。

歯の場合は、さらに肉眼で見えにくく、各症例を診るときに一般論がほとんど通用しませんので患者様ごとの、専門的な知識や具体的な状況の共有は、さらに重要です。
そうしないと、治療ゴール(=「目的」)の妥当性がそこなわれ、結果として不利益になるからです。

 まだいますよね、海の向こうの指令を受けて-0.5%程度のデフレ持続が良いなどと言っている
 旧御用系か工作員か何かが何匹か(’A`)

「手段の独立」「目的の共有」「ガバナンス」おろそかにできませんね。
このあたりの構造は、住宅の設計の、建築士や工務店との関係にも似ていますね。

逆に、歯科治療において歯医者が「目的の独立」も頑迷に守ろうとすると、これも困ります。極端な話

▲ 何でも抜いてインプラントor入れ歯
▲ どんどん削ってセラミック

などの、いわゆる(前回)「維新(=保存修復)なのにグレートリセット」系の過剰治療が横行してしまいます。これはこれで問題です。

「目的」は、「主権者である国民である患者様」に、よく説明した上で、同じ方向や着地点を模索していくことが大事です。

《ケース2 民主党型『無策系』》

「目的の独立」の話になりましたので、逆の面で困る話をひとつ。

 与党時代→何でも忘却
 野党時代→何でも反対

さすが民主党(というか社会主義協会)。旧社会党時代からまったくブレません。
おかげで震災復興は遅々として進まず、デフレは加速し、安全保障も脅かされてきた昨今です。
「やらない」ことに関して、これほどまでにこだわりを持つ集団の存在意義も、どうかと思います。

・・・いや、「議会は拒否権で決まる」「国政は参議院で決まる」という政治の負の現実に
   忠実なだけなのかもしれません。
   つい、このような
「拒否権」主義を政治家だけ叩きたくなるのですが、選んだのは国民です。
   日常の面倒を
「拒否権」主義の下でなるべく避けたい無責任な気持ちが有権者にあるから
   国政でもそれが反映されて、結果、体たらくだった、と理解すべきでしょう。

「やらない」、別の言い方だと「逃げ回る」という現象は、歯科でもしばしば目にします。
一番わかりやすいのは「痛いけど歯医者は嫌だから我慢した(ら悪化した)」という奴です。
まぁ、今までの歯科界の現状を考えれば、お気持ちは十分理解するところではありますが・・・

たまにあるのですが、いくらこちらが

 歯は自然治癒しない
 自力のみの予防は不可能

などと説明しても、頑として聞き入れていただけないことがあります。

歯は正直です。その人の、とくに生活習慣・生活状況における苦労や悩みを明確に表します。
そのような壊れ方をしてくるものです。

そして私たちも、神様ではありません。
『生活習慣・生活状況における苦労や悩みは、お口の環境をさらに過酷にしていく』
この「絶対法則」を無視できるようなすばらしい治療は、存在しません。
(おそらくエントロピー増大の法則と同じくらい固いと思います)

いわゆる「分からず屋 りたくない」系の人は、このような「生活→歯」のような因果関係を
無視できるような”すばらしい”治療を求めたくて仕方がないのかもしれません。

それは、自分が自分の体の管理に責任を持ちたくないからでしょう、おそらく・・・
・・・
確かに、歯科の知識については複雑で、各症例を見るときに一般論がほとんど通用しませんから
自力のみで的確な状況分析や解決策を見出すのは困難だと思います。
しかし、原因があって結果があるのですから、そこを避けて通ることはできません。だから

患「・・・でも仕事が不規則だし、人間関係もよくない感じだしetc」
というときに
根「○○ですけど、仕事柄(や生活状況から)、仕方ありませんね」
と答えてあげたらよいのか
根「○○は仕事柄(や生活状況から)、仕方ない面もあるけど、改善していきましょう」
と答えてあげたらよいのか、いつも悩みます。

それは、まぁ10人いたら7人は、前者のように答えてほしい雰囲気が満々だからです。
そういう人に割と共通してみられる、はっきりとした特徴があります。

それは、適切な「手段の独立」「目的の共有」を踏まえ、専門的かつ妥当と思われる見地から
丁寧に説明した時に

「でも○○」

と、かならず言い訳するのです。

(あ、来た・・・)こちらもピンときます。
たとえば経済状況の面とか、転勤・転居・勤務時間など、現実問題として動かしがたい
ハンディキャップは、大なり小なり、どの方にもあります。

そこから『交渉』に入り、『妥協点』を妥当なところに持っていくのも重要な仕事です。
何とか日常の中で改善可能な点を見い出していきたいのが人情ですよね・・・

“でも”その部分のほとんどが「でも○○」で固まった方の歯は、残念ですが、治りません。
患者様も私も含めて、どなたも「絶対法則」には逆らえないからです。

このようなケースで、いちばんかわいそうなのは、子供がむし歯が多いパターンです。
昭和時代ならいざ知らず、現在は「子供の歯は親や周囲の大人が守る」というのは
すでにコンセンサスとなって久しいはずです。

・・・残念ながら、まだ、いるんですよね。

 仕上げみがきは子供が泣くからやらない。
 お菓子を与えるとぐずるのをやめるから無分別に与える
 子供が自分で歯みがきをしているので仕上げみがきしなくていい

今となっては明らかに間違った考えですが、ひとつひとつ説明しても、親が

「でも○○」

が始まってしまいます。
「手段の独立」「目的の共有」「『交渉』に入り、『妥協点』を妥当なところに持っていく」
すべて子供の患者様の場合は、親とのやり取りになります。
継続的な交渉窓口が存在しない(まるで某国みたいですね)と、やり取りが適切に進みません。

 充填したところが次々に二次齲蝕になって、また駆け込む。
 むし歯菌がマジョリティーとして着実に口腔内に定着する。

もちろん体罰は慎まなければいけませんが、泣いたりぐずったりしても、長期的な点で考えれば
「根本齒科室  気」をもってしっかりお子様に対応することが大切だと思います。
そのような親の熱意や根気は問わず語りに必ず子供に伝わり、学習成果を理屈でなく行動で
示してくれることでしょう。

先の予算委員会でも、教育改革について
「社会教育」←「学校教育」←「家庭教育」
の中の「家庭教育」の部分が今の日本で欠落している、と、どなたかの質問がありました。

非常に耳に痛いですが、避けて通れない視点ですね。

「でも○○」 以て他山の石とすべしと、私自身も常に反省しています。

【今回のまとめ】

「拒否権」に振り回されないためにも「手段の独立」「目的の共有」「「でも○○」対策」が重要。

2013/02/09 02:15 | nemoto | No Comments