« リアルウイニングイレブン | Home | では逆に(しあわせな記憶) »
理由はあまり説明できないが、昔から「鳥獣人物戯画」が好きだ。
どれぐらい好きかって、
そのためだけに、縁のある高山寺(京都市)まで、
うっかり一人で訪れてしまうくらい好きだ。
ちなみに、高山寺には、現在、写本が置いてあるだけで、
ホンモノは、東京国立博物館、京都国立博物館にそれぞれ保管されている。
もちろん、知っていて行った、ああ、もちろん。
で、思わず食い付いてしまったのがこのニュース。
鳥獣戯画、元は表裏に絵 江戸時代に分離? │ 京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110215000155
要するに、元々両面に描かれていた絵を、
剥がして台紙に貼って補修した跡がみつかったんだとか。
何が凄いって、その補修したヤツの勇気だ。
江戸初期とはいえ、既に数百年経って文化財と化している絵巻を、
真ん中からひっぺがそうなんて、およそ考えられない大胆な策。
あるいは、ただ無頓着なだけだったのかもしれないが。
この「鳥獣戯画」、マンガのルーツとも言われており、
日本でマンガが盛んなのは、コレがあったからだ、
なんて無理矢理こじつけられたりもする。
………………………………………………………………………
さて、せっかくだから、無理を承知で、
そんなこじつけに乗っかって、少しマンガの話を。
先日、[朝日新聞グローブ] 第57号に、
「MANGA、宴のあとで」と題する特集が掲載された。
http://globe.asahi.com/feature/110207/index.html
いつの頃からか、日本のマンガは、
海外で、「COOL JAPAN」なんてもてはやされるようになった。
あくまでも子供の読み物である「COMIC」と区別して、
日本のマンガを「MANGA」と呼ぶ、なんて話もある。
そんな「MANGA」が欧米でよく売れている、
という時代は、最早、過去のものになりつつある、
というのが、前述の特集の論旨のようだ。
だが、考えてみれば、それも当たり前の話。
日本のマンガが、欧米市場に持ち込まれて一世を風靡したのは、
まさに、先進国が、発展途上国を食いものにする構図そのもの。
マンガ未成熟市場を、焼き畑的に食い荒らしただけの話で、
きちんと耕していなければ、そこから新たな芽が出るはずもない。
それにしても、各国のマンガの年間売上高、
というものが載っていたので、それを1人あたりに換算してみると、
なかなか衝撃的な数字が出てきた。
日本 4187億円(127百万人)→3300円/人
フランス 111億円(65百万人)→170円/人
アメリカ 114億円(319百万人)→35円/人
フランス、アメリカでマンガが流行ってるなんて言ったところで、
日本人の熱の注ぎようは、やはり桁違いであることがわかる。
諸外国からしてみれば、1億総オタク国家ニッポン、なわけだ。
経済産業省では、「クールジャパン戦略」なんて銘打って、
コンテンツ産業のテコ入れに必死になっているが、
なんだか、そのクールは、「カッコイイ」の意味ではなくて、
「冷ややか」の意味に聞こえなくもない。
………………………………………………………………………
さて、唐突だが、ここでまた京都に舞台を戻そう。
京都は、高校生の頃にひどく憧れた街で、
今でも、2年に1度くらいのペースで訪れることにしているのだが、
だからといって、京都らしいことをした記憶があまりない。
大体、行くと大概、宿泊先がマンガ喫茶では、趣きも何も無い。
それこそ、外国人にとっては、
KYOTOでMANGAに囲まれて眠るなんて、最高にCOOL、
だったりするのかもしれないが。
個人的には、清水寺も、銀閣寺も、本願寺も、
それ相応にクールだとは思うが、あまり自分の琴線には触れない。
メジャーな寺の中で、一番のお気に入りは、龍安寺。
だが、残念ながら、寺として好きなわけではない。
いや、それを言ったら、高山寺も結局そうだし、
とても失礼なことを言っているとは重々承知しているのだが。
ハマったのは、「吾唯知足」と記された蹲踞(つくばい)だ。
そこかしこで聞いたことのある言葉だったのだが、
それが龍安寺にあると知って、やはりそのためだけに訪問した。
英訳すると、”I learn only to be contented.” となるらしい。
和歌の英訳は、韻の関係もあってことさら難しいようだが、
個人的には、この訳は、音感も良くてなかなかどうして、と思う。
今回は、いや今回も、そんな何にとりとめのないところで。