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目の前には瞼を閉じて力の抜けた顔をしたひとりの女性がいる。美人ではないけれどチャーミングな彼女は、疲れているときにここに来る。少し崩れた化粧の、皮膚の薄い頬骨の、そこかしこから毎日を闘っているという感じが伝わる。
僕は一声かけてから、蒸したタオルを彼女の顔に乗せた。気持ちいい、と声に出さずに肌が緩んだ。
僕の手はいつも、女の人の美のために捧げられる。
圧倒的に女性が多い美容業界では、僕のような男はまだまだ少数派だ。メイクの分野では男性も増えてきているけれど、エステの世界で働く男はまだまだ少ない。たまに雑誌の取材も受けるが、それは物珍しいせいだろうと思っている。むろん、そこには偏見も入っている。曰くスケベ心、曰くゲイ。そのどちらも僕は積極的に否定してこなかったけれど、本当は働く女性のことが単純に好きだったからだ。
原因は環境にもあるのかもしれない。母と年の離れた姉は美容師をしている。二人とも毎日足を棒にして働き、まだ学生だった僕に散々愚痴をこぼしていた。なのに目の下にクマが出来ても、立ち仕事で足がぱんぱんにむくれても、二人の顔は晴れやかだった。
「だってねえ、やぼったいなって思ってたお客さんが可愛くなった瞬間って、たまんないよね」
二人はそう言って笑うのだ。
僕のエステの最初の客は、だから母と姉だった。身内と思って僕の技術に遠慮なく文句を言い、うまくできるとバカみたいに褒めてくれるのがこそばゆかった。
美容室の隣にオープンした僕のサロンは少しずつお客さんが増えてきた。最初は母や姉からの紹介で、次にそのお客さんの紹介で。最近では雑誌を読んで来てくれる人も増えた。
このお客さんもそうだった。
一番最初の予約の時の電話の声をよく覚えている。少し掠れていた。抑えきれない疲れがにじみ出て、助けて助けてって叫んでるみたいだった。何時までやってますかと聞かれたから、反射的に何時でもと答えた。時計の針は21時を回ったあたりで、そろそろ店じまいする時間だった。
「ありがとう。今から行きます。お願いできますか?」
1時間後、彼女は足を引きずるようにして僕のサロンにやってきた。
肌の状態を見て、美容液をたっぷり使ったフェイスパックをした。物足りなさそうな顔をした彼女に、今は薬よりも睡眠です、だから早く休んでくださいと帰したら、また来ますと言われた。
以来、彼女は月末になると必ず死にそうな声で電話をくれるようになった。
僕の手はいつも女の人の美のために捧げられる。
捧げたものを、受け取って彼女がまた闘ってくれたらいいな、と思う。
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花言葉:私の伴侶
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。