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JunkStageをご覧の皆様、 こんにちは。
新年明けましておめでとうございます、スタッフの桃生です。
7年目となる今年も、JunkStageをどうぞよろしくお願いします。
さて今回は、年始にもぴったりなこのライターさんを取り上げたいと思います。
■vol.16 音楽家僧侶・梵智惇声さん
――布教の方法というものは、法話だけに限ったものではありません。
坊さんの生き様そのものが、それを見る信者さん、檀家さんには布教なのです。(梵智惇声)
音楽家にして高野山真言宗の沙門(出家した僧侶の意)。オペラ、声楽のほか作曲なども行うプロの音楽家として独立後、出家。現在は宗教と芸術の両面を糧としている。
http://www.junkstage.com/bonchi/
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音楽家でありながら、僧侶。
あるいは僧侶でありながら音楽家。
一見、矛盾とは言わないまでもどこかそぐわない印象の肩書をお持ちなのが、今回ご紹介する梵智さん。しかも音楽の活動分野はオペラを主に指揮から楽曲選曲、編集、演出、声楽家としての活動など多岐にわたります。
どんな経歴を経て、こんな経歴を身に付けたのか? というのはだれしも疑問に思うところ。そのあたりの経緯はこちらに譲りますが、それにしても波乱万丈な人生です。
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さて、梵智さんといえば特筆すべきが「言葉の強さ」。
僧侶として法話を行うことも多い梵智さんですが、その明晰かつシンプルな言葉は、宗教家としての面目躍如たるところです。
私を初め、現代日本において宗教というものをどこか漠然としたイメージ化している人、あるいはクリスマスを楽しみつつお正月は神社に詣でお盆にはお寺へ墓参、という人は多いのではないかと思いますが、しかし日常生活においても仏教はどこか遠巻きにされているもの。そんな人にとって、梵智さんのコラムは身近に触れられる法話の一形態といえます。
しかし! 優しいお坊さん、を期待される方にとって、梵智さんのコラムは、決して甘くはありません。
峻烈な言葉で時代にモノ申し、厳しい言葉で現実を語る。
web媒体という場において、それはむしろ珍しいことといえるでしょう。
特にJunkStageではライターは基本的に実名参加。不用意な発言をすればバッシングにも成りえる条件はそろっています。
しかしながら、梵智さんは曖昧なものを曖昧なままにしておかない。
それは、おそらく冒頭に掲げた言葉そのものを、梵智さんが目指しておられるからだと思います。
人は、なぜ宗教を必要とするのか。
なぜ、信仰というものをよりどころにしてしまうのか。
そういう方にとって、梵智さんのコラムは幻想を打ち砕きつつ、それでも希望を与えてくれるのではないでしょうか。
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音楽家としても、精力的に活動を続ける梵智さん。
今年は既にモーツァルトの室内楽の指揮を終え、2月にオペラ「ドン・ジョヴァンニ」、4月に同じく「フィガロの結婚」を控えていると言います。
その多忙な日々の中、梵智さんはそれでも立ちどらまず、次へ、次へ、と考えておられることでしょう。
梵智惇声、という名前は、実は改名なのだそうです。
より正確に言えば道号が「梵智」、戒名が「惇声」。それはご本人が書いてくださっているところなので割愛しますが、そういう部分も一般には知られていない仏教の一部。
宇宙の深い叡智と真心のある声。
梵智さんは、その名の通り、全てを語り尽くそう、としていらっしゃるようにも見受けられます。
だからこそ、その強い言葉が、読む私達にも響くのではないでしょうか。