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2009/12/15

おはようございます。
私、ぼんちのページへようこそお参り下さいました。合掌

さて、今回は私の生い立ちをお話ししようとしておりますが、
色んな意味で強烈な話になると思われます。
中には差別的なことも出てまいりますが、
私自身がそれに賛同しているわけではなく、
あくまで我が家がそのような雰囲気を持っていた、
ということでご理解いただけたら幸いです。

1978年3月19日 22時48分
大阪府立病院にてこの世に生を受けました。
もし占星術などをされる方がいらっしゃいましたら、
サンプルとしてお役立て下さい。
それなりに私の人となりが理解できるかと思います。

私が生まれた家は大阪は中央区、船場の繊維卸問屋でして、
次男であった曽祖父が開業したお店でした。
私の俗名は「西尾幸紘」と申しました。
もうすぐ戸籍も「惇声」に変更予定ですが、
ともあれ、西尾家に生まれ、幸紘と名付けられたのです。
私の生まれる丁度一年前に曽祖父が亡くなり、
その息子、つまり私の祖父の代になり、
その祖父の次男の子供として生まれました。

決して祝福されて生まれてきたわけではありません。
そも、両親のなれそめ自体が、
普通なら恥以外のなにものでもないような、
極めて不純な要素を含んだものでしたから、
両親の結婚そのものが祝福されたものではなかったのです。

ことの発端は、私の父が高校を卒業する段になり、
「大学を出たら仕事に打ち込みたい。
 大学の間に新婚生活の甘さを味わいたいから、
 結婚を前提として付き合える女性を紹介してほしい。」
このように両親に頼んだことにあります。
祖母はまともに女性を探し始めたそうですが、
享楽主義を自称する祖父は違いました。
父は免許をとるなり、外車を乗り回し、
よく買い換えていたので祖父はこう思ったのです。
「車をあれだけ乗り換えるんだから、
 女だってすぐ乗り換えるに決まってる。
 あいつが乗り換えたら俺が遊ぼう。」

そう思ってすぐに紹介したのが、
うちの店で働いていた鹿児島出身の従業員。
確かに両親に相手を紹介してくれ、という父も父ですが、
次は自分の女に、などと考えて紹介する祖父も祖父です。
ところが、案に相違して父はこの女子従業員を捨てず、
ズルズルと一緒になって、数人の水子を作った後、
(堕胎も含まれるんじゃないかと私は考えています)
数年で生まれたのがこの私だったわけです。

しかし、この結婚を大っぴらにするわけにもいきませんでした。
相手は従業員。
30年以上前の話ですから、まだ船場の商人には
従業員は使用人、召使、という頭がありました。
当然私の母は単なる召使なわけですから、
大っぴらにすれば親族一同の怒りを買います。
私が生まれてしまったことで、
両親の仲を認めざるを得なくなった、というのが
実情のようでした。

ところが、母の性質にも大いに問題がありました。
次回はその性質からどんな結婚生活となったか、
そこからお話を進めていきたいと思います。

2009/12/15 02:57 | 私の説明書 | 1 Comment

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