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ブック02「Cluster amaryllis 」カラー/モノクロ36ページA5判より.
この作品は僕が個展の会場を決める際に資料、参考作品として
いろんな方へ見せるために制作した、ブックの中の2冊目です.
「cluster amaryllis」というタイトルですがこの一冊、
実は出版時に「卑猥又は暴力的な描写表現と認められる画像」
ということで印刷屋さんの方から一度NGを喰らいました.
そこで、指定された2ページほどを手直しして
「美術作品として、一点のみで出版可能」
という許可を経て、あらためて一冊にまとめることができました.
これは内容を考えると出版社さんに感謝だったと思っています.
この作品集…そこから漂う奈落へ墜ち行く感じと暴力臭は
何の救済も感じられない、肉体・精神共に被写体側からしてみれば
厳しく追い込んだ作品になっています.
人は自分の抱える闇や感じる痛みを発露させたとき
またそこに深く深く入り込んで撮り続けたとき
そのとき、どんなことを感じ何がそこに現れるのか
果たしてそれは撮れるものなのか…
この作品集の写真は被写体さんとの初対面から
数時間の一夜うちだけで撮られたものだけで構成されています.
そんな短期決戦になってしまうのは理由があって
それは、そうでなければ互いに保たない..
その場所、その時間の領域に居続けることに
ココロも身体も耐えられない…それが正直なところです.
今年の僕のキーワードは「オープンにしていくこと」.
それは、何もかもを開けっぴろげにするわけではなくて
新年のコラムでも書いたように、僕がこの先作品を公開するにあたって
そこに写る被写体の、露わに剥き出しとなった想いに対して
僕だけが写真家然としてそこにいるのではなく、
僕自身もまた露わにさせていくことで
撮られた想いと対峙する必要があると思っているからです.
この一冊だけ創ることを許された作品、そういうところで撮ったものに触れる..
そしてこうして公開する…そのことは僕もまたそれだけのものを
明かして行こうとする意味を持ちます.
前述しましたが、この作品が撮られた場所、空間で写真を撮ることを
維持できる時間は限られています.
肉体的にはともかく心、精神の方がキリキリと軋み始めてきます.
撮る側の僕がOKを出せば撮影はそこで終了しますが
まだ出るものがある..残しておきたいカタチがある..
まだ行けるのか..もう限界なのか…
その判断は基本的に撮られる側に委ねられるものだと僕は思っています.
だから残酷のようだけれどその姿がある限り僕は撮ることを止めません.
ですがこのような領域で表現を追い続けることで解ったのは
この場所で作品を創り続けるためには膨大な精神力が求められるということ.
それは被写体…撮られる側にも撮る側の僕にも言えることです.
何故なら想い、痛み、それぞれが抱えるもの、深い部分…
そこに立ち現れて写真に写し込まれるもの…
それはあまりに巨大な想いを伴った異形であり極めてデリケートなもので
安易な気持ちで手に負えるものではないからです…
それは僕が写真家ではなく、精神科医であったとしても同じことが言えると思います.
だけど、人ひとりの想いというのは
逆に言えばそれほどのものだということでもあります.
そういう部分に触れ、作品として公開して行くからには
相応の代償もまた存在する…ということに他なりません.
この10年来の僕は、作品を撮るにせよ発表するにせよ
「迫る」と口にしながらも、どこかで自分の身は守ろうという意識があって
作品構成としても伏線やミスリード誘う演出や小道具…
そんな小手先で小賢しいことをして観ていただく方々に対して
「してやったり」という気持ちがあったりもしました.
想い、痛み、切なさという場所で作品創りをしながら同時に
愛し、愛されと人並みな幸せもまた望んでいたりもしていました.
そうして身を守りながらもなお、失ってしまうものも
通り過ぎてしまうものも多く、得るものは少ないものだと
どこか達観して自分主体な考えのままでした.
けれどそれはそうではなくて
人の気持ちや想いという部分に踏み込みながら
何処かで自分を守ろうとする我が儘な意識がある限り
また中途半端な安全地帯にいる限り、喪失は必ず訪れるものだと知りました.
ならばそこでどうなるかは解らないけれども、
同じ失うものならば..正面切って対峙して
より深い場所へ踏み込んで行くべきではないか…
一挙両得などと求めても掴めないものを求めるよりは…
とはいえどんな気持ち、意識で望もうと「そこ」で撮り続けることは
臨界点というものが必ず訪れるものです…
僕自身も元々メンタル面に於いて決して強いとは言えません
重圧、ストレス..神経への負担は思っていた以上のものでした.
たくさんの変化が僕を襲い、喪失も孤独も止むこと無く続きました.
これから僕が「オープン」に明かしていく事実は
人の想いの深い場所に沈むように深入りして表現をしていくことが
どういう結果をもたらすのかを示す一つの例に過ぎません.
もっと上手に撮ることのできる写真家も存在するでしょう
失わずに済んだものもきっとあるでしょう…
けれどそれは僕がきっと、周囲にいてくれる人たちの気持ちを
理解できずにやってきた数々のこと…
嘘、裏切り、虚栄心…報いがあって然るべきの結果です.
僕は一度写真を裏切っている…
今でもやっぱり傷つくこと、失うことは怖い…だけど
そんな僕にもまだ撮られる側へ来てもらえている人たちの想いがあって、
僕は撮り、創ること、発表することが出来ている…
だから僕もまた身体、精神の臨界に達するまで
そこに踏み止まろうと思うのです.
それは安直に「希望」や「夢」があるから先へと進めるというものではなく
剥がれて落ちるものは全て剥がれ落ちながら
もはや這い上がっているのか、沈み続けているのかも曖昧になりながら…
今回掲載した作品群は作者の僕からしても、
黒くて深いものです…
この辺りの作品たちは触れられることさえ躊躇われてしまいます.
当然のように反応や手応えが届くことはありません.
その意味では不遇な作品だとも思います.
だけどそれもまた、ひとつの通過点に過ぎません.
この場所のこの作品たちがなかったら
今指向している個展作品へはつながらなかったと思うから.
或いはそれこそが”全てを捨てた者だけが”という場所へ
たどり着くための旅路なのかもしれません.