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明けましておめでとうございます。今年もレインボーノートをよろしくお願い申し上げます。
さて、読者の皆様は年末年始をどのように過ごされたでしょうか?
今回の年末年始は、長い連休を取れた方も多いのではないでしょうか。
レインボーサポートネットも年末年始はお休みを頂いて、お問い合わせに対する対応はしませんでしたが、年が明けてみると、年末年始の休みのうちに寄せられた大量のお問い合わせのメールの処理で一苦労しています。
おそらく、長い休みのうちに、問題解決や法的手続のアクションを起こそうと決意された方が多かったのでしょう。それだけ、自分自身を見つめる時間や、気持ちを整理する時間が取れたということでしょうか。
お正月は帰省する場合が多いので、久しぶりに家族や親戚と会い、自分の人生のこれからについて何らかの刺激を受けたという場合もあるようです。
「親が思っていたより年老いていて、近い将来同居してあげなければいけないと思った」・「独身だった兄弟が婚約者を連れて挨拶に来て、いよいよ自分への結婚のプレッシャーが高まった」・「同窓会に出席したら、昔好きだった人の風貌の変化に驚いた」・「親戚にしつこくお見合いを勧められた」など、普段は都会で気ままな1人暮らしをしているのに、田舎に帰って急に現実的な話や場面に遭遇してしまう体験をした方も多いでしょう。
若いうちは、そういった場面を上手くスルー出来るのでしょうが、30歳代半ばを過ぎると、自分自身の人生の将来と、家族(特に親)の将来を考えて、あらためて真剣に人生設計を考える時期が来るようです。
パートナーに財産を遺すために遺言書を作りたいとか、万が一に備えてパートナーと相互に任意後見契約を結びたい、養子縁組をしたい、離婚をしてセクシャルマイノリティとしての人生を歩みたい・息子のゲイを治したいといったパートナーや家族との関係に関する手続や相談は、自分と自分の近しい人との関係をどうにかしたいという気持ちからくるものです。
他者に無関心でいられるなら、それほど楽なことはないかもしれません。
しかし、現実には、人は1人で生きていけるほど強い生き物ではなく、大半の人は、家族や恋人、友人を自分の精神的テリトリーの中に置いて、その距離感を意識しながら生きているのでしょう。
孤独が好きな人はよくいますが、精神的な孤独が好きなわけでは決してないのではないでしょうか。
LGBTの場合、図らずも孤独に陥ってしまう場合があります。それは、偏見や差別によるものですが、このリスクをある程度承知しているからこそ、カミングアウトをするorしないという選択の善し悪しを天秤にかける必要性が出てきます。
自分以外の人間との距離感を上手に把握できるLGBTは、カミングアウトに関しても上手です。
精神的な孤独を味わうことの辛さは、LGBTにとっての生きにくさの代表的事項でもありますが、それを覚悟する度胸が、LGBTとして生きていく人生には求められるのです。
ヘテロセクシャル(異性愛者)と比べて不公平であることは言うまでもありませんが、社会全体の差別や偏見が皆無にならないと、この状況の完全なる改善はあり得ません。
マイノリティであるということは、精神的強さを身につけなければならないということを、多くのLGBTは普段の社会生活の中で実感していることでしょう。
今年は、LGBTの皆さんが、LGBTであることの生きにくさを少しでも感じなくて済む年になるように願っています。ただそのためには、LGBT当事者の皆さんによる、権利擁護の運動を正しく行っていく必要があります。
社会との闘いは、マイノリティにとって必須であるという覚悟もまた、求められているのです。