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広告人・山崎浩人氏の場合
10年ぶりに帰って来た広告会社の現場で、見たものとは。
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流れに逆らわない。
世の中の側が動いているのだから、自分も動いて当然だろう―
身軽な決断からは、そんな印象さえ受ける。
かくして山崎さんが再び移籍したのは、携帯電話のキャリア会社。
動きの早かった先行他社を追って動いていた、そのさなかだった。
すぐに広告グループだけを切り出して別会社化し、2年後に山崎さんはCEOに就任する。
「なぜ広告を?」と思われるかもしれないが、当時の携帯電話キャリア会社には
NTTDoCoMoなら電通とD2C、KDDIなら博報堂とmedibaなど、広告会社と「レップ」と呼ばれるメディアを販売する専業会社が組んでそのマネタイズを支える構造があった。
その横のつながりは深い。
「日本で、モバイル広告という新たな市場を構築する」という志のもと、各社はモバイルを新たなプラットフォームにすることに一丸となった。一人勝ちで抜きん出ることを目指すより、仕様を合わせてまずは「市場を作る」ことが優先と考えたのだという。
しかし、物事の黎明期にはつきものの「選択と集中」の潔さの中、予想外のことも起きた。
出向元であった携帯電話キャリア会社は、経営の方針を転換。
伴って、CEOを退いた山崎さんは、広告会社に拠を移し、今度はテレビとモバイルの掛け合わせによる事業の可能性を模索する道を選んだ。
* * *
山崎さんの常駐するネオ・アット・オグルヴィ社は、広告業界世界1位である英国WPP傘下の
「オグルヴィ・アンド・メイザー・グループ」に属する。
10年ぶりに戻ってきた広告会社の「現場」にブランクは感じなかった。
「むしろ、エージェンシーの仕事が変わっていないことに衝撃を覚えた。」
しかし、クライアントである企業側の課題は明確に変わっている。
「昔のように、クライアントの側から、“こういう製品が出るのでオリエンをしますから来てください”という仕事はどんどんなくなっている。」
“面を取るためにメディアを売る”という広告会社の変わらないビジネス構造に対し、
山崎さんが自分の思うやり方を通せたのは、会社の元々の特性によるところも大きかった。
「持ち物がないから。」
その理由を、シンプルにそう語る。
ネオ・アット・オグルヴィ社では、自社メディアを持っているわけでも、電波の権益を握っているわけでもない。そうした「売らなければならないもの」を持つということは、一見、特権のように見えて、足枷になることもある。
広告会社の売り物といえば「媒体」を真っ先にイメージするが、ネオ・アット・オグルヴィ社には、媒体部という部署も存在しない。
「営業部隊と、企画部隊と、あとはコンサルとクリエイティブだけ。ネオ・アット・オグルヴィの事業
領域はデジタルだから、メディアの提案が必要であれば、営業が他の広告会社に発注する。」
いわゆる電通や博報堂といった広告会社とは、まるでポジショニングが違うのだ。
「だから、高額でマスメディアを売らないと収支が成り立たない、という構造に陥ることがない。
でも、本当はそれが当たり前なんだよね。
メディアプランニングは、プレゼンの場でだって、最後のほうのページでしょう。
それを全面に出されても…と、クライアントなら思うよね。」
「売りモノありき」でない山崎さんの行動様式は、外部のスタッフに接する際も共通だった。
「キャンペーン事務局をやっています、という会社が、インサイトに詳しかったり、
データ入力の会社が解析に強かったり、会社の売り物には直結してないけれども
価値のある意外なものを持っていたりする。
話を聞くうちに、じゃあ、そっちやってよ!ってなる。」
イレギュラーなチーム編成による仕事で、自分の新たな役割も明確になった。
「インサイト調査の人はマーケティングに落としたことがない、と言うし、
クリエイティブの人はマーケターと直接やることがない、と言う。
でもそれを直接くっつけると本当におもしろいことが起きる。
間にあるのは“戦略”で、それが広告会社の仕事の醍醐味だと思うようになった。」
戦術の発見と、スタッフィング。山崎さんの立ち回りは、ネオ・アット・オグルヴィ社での肩書「プロデューサー」そのものになっていった。
しかし、当初期待されていたような「マネジメント」職としては、なかなかにうまくはいかず苦戦していたのも事実だった。
組織を作ること、自分の仕事のやり方をメソッドとして会社で浸透させることの難しさ―
そんな頃、突如日本を襲ったのが、あの3.11の震災だった。
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次回予告/Scene4;
広告人・山崎浩人氏の場合
“日本”を見つめ直した、震災後の決断。
(1月9日公開予定)