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さて、毎度気の進まないこの話題ですが・・・(苦笑)
なんでも、笠原ちかさんが楽しみにしておられるとのことですので、とりあえず続きを書いてみることにします。
さて、1993年に行方不明になった踊り子を探すために、パソコン通信で情報交換を呼びかけたわけですが、その当初目的を果たさないうちに別の楽しみにはまっていきました。
なにしろ、それまでストリップに関して他の人と深く語り合うということはあり得なかったことでしたが、このパソコン通信の閉じられた場では情報交換に限らず、心置きなく同好の士とストリップについて語り合うことができるのですから。
私はこの情報交換の場として、今でいうところの「会員制掲示板(BBS)」を開設したのですが、当時のパソコン通信ではこれが月に1万円もしました(苦笑)。
さらにこれに1分10円の接続料金、それとは別に電話料金が3分10円かかったわけで、今振り返ってみても「高くついたなあ」というのが実感です。
それでも、当時はいわゆる「独身貴族」で自由に使えるお金があったので、特段不自由には感じませんでした。
そのとき集まったストリップ仲間には、いろんな嗜好を持った人たちが集まっていたわけですが、中でも最も強い影響力を持ち事実上この集まりを仕切っていたのは、いわゆる「追っかけ」と言うべき熱烈な「踊り子ファン」の皆さんでした。
アイドルの「追っかけ」は、すでに知られた存在ではありましたが、ストリップでも若くてルックスのいい踊り子には、そういうファンが付いていたのですね。
そして彼らが劇場の中で何をやっていたかといいますと、踊り子が踊る音楽に合わせてタンバリンをたたいたり、テープ状のリボンを投げて踊り子を彩ったりして場を盛り上げる、いわゆる「応援」行為を行っていたわけです。
こういう人たちはネットでもその思いを熱く語り、私の開設した掲示板でも主導権を握っていました。
また、ネット上のみならず実際にストリップ劇場の中で顔を合わせる、「オフ会」(オフラインミーティング)もよく行われました。
実際に仲間と顔を合わせてストリップ談義を行うことも、このときの私の大きな楽しみのひとつでして、それは大切な踊り子を失った穴の全てではないにせよ、かなりの部分を埋めてくれました。
さらには、そういったファンの紹介で踊り子と劇場外で会う機会もできたりして、これもまた今までにない楽しみを与えてくれました。
踊り子も踊り子で、かつてのアクロバットダンサーのようなインパクトこそありませんでしたが、当時はルックスはもちろん踊りも上手く、踊ってよし脱いでよしの優れた踊り子が多かったと思います。
また単なるアイドル系のみならず、クラシックバレエで鍛えた体の柔軟性をしっかり見せてくれる踊り子や、「1人ミュージカル」を演じて感動を呼び起こす踊り子などもいて、実にバラエティに富んでいて見応えがありました。
そこで、実際にストリップを見に行っての感想なども大いに交換されたものです。
私も約5年間で数百本の観賞レポートを書き、その先頭に立っている自負がありました。
しかしその一方で、私の人生にも大きなターニングポイントが訪れていました。
それは「結婚」です(爆)。
私個人としては、結婚は十分な収入が得られるようになる30歳になってから考えても遅くはないと考えていましたが、親が早く結婚してほしいと言うので「だったら見合い話のひとつでも持って来い!」と言うと、3つほど見合い話を持ってきました。
最初とその次の女性とは、1回会っただけであっけなく振られてしまいましたが、3番目に会った彼女が今の妻ということになります(笑)。
このとき私は、彼女には当時の自分の最大の趣味がストリップであることを話したわけですが、彼女はそれを受け入れてくれたのです。
ある意味、これが結婚の「決め手」だったかもしれません。
しかし今考えてみれば、結婚そして新婚生活に入ってもストリップ通いをやめなかった私は、やはり異常だったことは確かでしょう(原爆)。
そしてこういう異常な生活は長くは続かず、やがて私はストリップから遠ざかるようになってしまったのでした。
そろそろ次回あたりで、締めくくれるかな。
そういえば22日で、このコラムも3周年を迎えますね(笑)。