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2012/10/17

今月もスロースターターで失礼しております(笑)。

今年のボディビル大会シーズンも、先日7日の日本選手権でついに終わってしまいました。
懸案になっていた当日券ですが、前日に大阪に泊まって朝8時前に会場に並んだおかげで、どうにかチケットを購入できて無事観戦することができました。
現在ブログの方に、レポートを順次アップしておりますので、興味のある方はぜひご覧ください。

さて、それで今回何を書くかといいますと、これも半年以上放置していた連載「私とストリップ」の続きです(爆)。
正直言って、これを書いたことによって私のJunkStageライターとしての価値が、さがってしまったのではないかと思っているのですが、今更どうしようもないので書けるところまで書いてしまおうと思います(苦笑)。
ただ、なにぶん久々なので思い出しつつ書いてまいりますので、今回は軽めに済ませたいと思います。

前回は昭和から平成に変わった前後の時期の、私のストリップ観賞が最も充実していた時期のお話をさせていただきました。
そしてその時期に終焉が訪れることを、予告したところまででしたね。
つまり、私がストリップにはまった原動力となった、2人のアクロバットダンサーとの別れがあったのです。
まず1991年(平成3年)の11月に、川崎市のストリップ劇場で火事があったのですが、その劇場にはアクロバットダンサーのK嬢が出演していたのです。
それで火事のときに、劇場2階の楽屋にいたそうであわてて飛び降りたわけですが、そこで大けが(骨折)をしたのがダンサーとしての致命傷になってしまい、その後彼女を見ることはありませんでした。
もう1人のアクロバットダンサー、B嬢とはその後もしばらくよい関係が続いていましたが、1993年の2月頃にちょっと気まずいことがあって少し会わないでいたのですが、それっきり彼女の行方がつかめなくなってしまいました。
当時ストリップの踊り子の行方は、夕刊紙「内外タイムス」の劇場広告によって関東近辺しかつかめませんでしたので、それ以外の地域の劇場に出ていてもわかりません。
そこで私がどうしたかといいますと、パソコン通信を使って全国レベルでのストリップ情報交換を呼びかけたのです(爆)。
パソコン通信そのものは、すでに2年ほど前から始めていましたが、それまではもっぱら情報収集のみ利用して、自分から情報発信したり積極的に情報交換をしたりはしていなかったのですが、B嬢の行方をなんとかつかみたいという一心でそのような行動に踏み切ってしまいました。
情報交換の輪は意外と早く広まり、ピーク時には100人を超える人が集まっていたのですが、肝心のB嬢の情報は把握できませんでした。
しかし、このパソコン通信を通じてのストリップ情報の交換の面白さを知った私は、その後その情報交換やオフラインミーティングなどに没頭していくことになりました。
ところでB嬢の行方ですが、結局1993年4月を最後に引退したということでした。

こうして、ストリップにはまった原因であるアクロバットダンサーを失ってしまった私でしたが、今振り返ればここで「卒業」しておけばよかったのに、ここから「迷走」が始まってしまったのでした(苦笑)。
ここから先は、自分でもあまり振り返りたくない過去になってしまうので、次はまたしばらく時間を置いてからにしたいと思います。

2012/10/17 10:56 | yamane | No Comments