« | Home | »

2012/10/15

幼稚園、というのは酷くむごい施設のような気がする。
一緒に遊んでいる仲間たちが一人、ひとりと母親や兄姉に連れられて帰っていく後ろ姿を、僕はいつも一番最後まで見送っていた。冷たい手を引いてくれたのは、まだ若い女の先生だった。
いつもいろんなことを話し、僕にいろんなことを尋ね、あらゆることを話し合ったその人の名を、僕はもう覚えていない。それでも夜半、親が迎えに来るまでの果てしないほど長く感じる時間を耐えられたのは、ひとえに先生がいてくれたからだろうと思う。

 

両親は多忙で、僕は幼稚園で一番遅くまで取り残される子供だった。
子供心に毎日必死で働いている両親に心配を掛けてはいけないと思い、僕は滑稽なまでに明るくふるまうようにしていた。それは幼稚園においては人気者の座を与えてくれたし、両親の信頼を得るのにも役立ったけれど、習い性になったフリを続けるのはなにかむなしさを感じることでもあった。所詮全部ウソなのに、と僕は妙に醒めた頭で考え、それに騙される友達や大人のことを酷く簡単でうすっぺらいもののように思っていた。

 

「君は本当は大人なのね。私たちが考えるよりもずっと」

先生にそれを言われたのはいつだっただろうか。
多分、僕と先生がふたりきりで時間をつぶすことに飽きてきたころだったような気がする。お絵かきや折り紙やごっこ遊びなど、子供が気に入りそうな遊びを次々と試しては気に居るふりをする僕に、先生はどこか気の毒そうな顔でそんなことを言ったのだ。
ほんとうに楽しいんだよ、と僕は答えたような気がする。事実、昼間はみんなと分かちあわなければならない先生を独り占めしていることは気分が良かった。かまってほしくて駄々をこねる子供やぐずる子供をみると、みっともないと思うと同時にとても羨ましかった。自分にもそうする権利はあると思い、そうしない自分をより大人だと考える程度には、僕は先生が好きだった。

「楽しんでくれているのだとは思う。でも、それ以上にこちらを楽しませようとしてくれるのね」
「……なんで先生、そんなこというの?」
「君がそう振る舞っているように見えるからかな」

他の子より先に大人になってしまうのは、と、先生はそこで言葉を止めて、近くに置いてあった積み木や幼稚なおもちゃを片付けて、僕にきちんと向き合った。

「先生とお話をしましょう。いろんなことを、君の言葉で聞いてみたい」

あの日、僕は確かに理解者を手に入れた。
ぺらぺらの大人のなかで、唯一、先生は重みのある存在だった。

 

僕はもう、先生の名を知らない。たび重なる引っ越しの中で、知るすべも失われてしまった。
知らないまま大人になって、もうすぐ僕は父親になる。
その子供に僕は、あの先生のような大人として映るだろうか。ぺらぺらの存在ではなく、きちんと子供の心に残るような大人であるだろうか。
そうであってほしい、と祈りながら、扉越しに聞こえてきた勢いのいい泣き声に耳を傾けた。
==================================================
*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2012/10/15 07:29 | momou | No Comments