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田舎の疎開先のような大学を出て運良く今の職場に勤めることができて、もうすぐ10年が経つ。計算は子供の頃から苦手なので詳しく調べないがざっと10年が経つのだ。10年つうとかなりの年数だなぁと我ながらボンヤリ思う。オリンピックであれば2回できる。桜は10回咲く。0歳で生まれた子は10歳になり九九を覚える。かき氷は何回食うか。オナラは何万発ぶんだろう。そう思うと、思わず10念してしまう。ナムアミダブツ。
10年というのは日数で言うとまぁ単純に3650日ということになる。それくらいはおれでもわかる。よくもまぁ3560日も朝からマジメに起きてせっせと仕事に出かけ生き物のメンドウをしてきたもんだなぁと思う。自分で自分を誉めてあげたい。まぁ休みの日もあるから正確には3650日朝からマジメに起きたわけではないが。
しかしながら実際のところ、勤め初めの頃は夢がかなって楽しくて若かったし毎日朝起きるのが楽しみでマジメに笑顔で出勤していたが、じきにそうでもなくなった。土日休みの友達と金、土曜なんかは夜通し遊んで翌日は半日ズル休みしてしまおう、という悪魔のササヤキに簡単に身を売ってしまう現象も度々あった。
そしてさらにしばらくすると、いろいろ覚えてきて今度は上司のやり方が気に食わず、イライラ反抗期になり体の奥底から燃えたぎる闘志を燃やし、恐怖のデビルマン化して毎日せっせとマジメに起きて働きにでて仕事が終わると家で人生で一番本を読んだり、人に会ったりして勉強した。時に逆上し、時に村八分にされ、時にカベを蹴ったり殴ったりしながら働いて、やがて今日に至る。以上簡単ながら我が水族館勤務人生経過報告であります。本日はおめでとうございます。ご静聴ありがとうございました。おわり。
まぁ10年もして思うのは、10年もマジメに、いやマジメではないかもしれんけど、それなりに朝きちんと起きて夜まで働くという繰り返しのロボットのような活動で、この先もこれが続くのかと思うと、なんだか見えない闇の組織に統率されているようで、オレはバカなんではないだろうか、と思う。中学校のときも朝もはよから起きて部活に行って先公から罵声を浴びながらスポーツに励むのはマゾの行為でバカのやることだと思ってやめてしまったことがある。マジメに部活に行って練習でしくじったりして先公に怒られている友達達を見てエライもんだなぁと感心したことがある。大人になったら、部活みたいにどーでもいいイヤナことをするのはやめよう、やりたい仕事をしよう、とココロに誓ったものだ。その頃から部活をさぼりその時間は生き物に焦点を当てた行動をするようになった。明確なビジョンを持ち、生涯設計のあるとってもマジメな不良だったのだ。
そう思うと、仕事というのは毎日好きなときに起きて好きなときに仕事して好きなときに腹が減ったらイノシシでも捕まえてメシを食うとかいうシステムにならないものかと思う。そういう人をフリーの仕事というのです、と人はいうのだろうが、そういう人はなんだかうらやましい。まぁ実際なってみると、それはそれでかなり大変でしょうが。
人間つうのはいつからマジメに朝きちんと起きて何も思わず出勤してきちんと働きだしたのでしょうか。江戸時代くらいからか?大昔の縄文人とかはたぶん好きなときに起きて好きな暮らしをしていた(確実に今よりかは)はずで、そういう暮らしなら水族館なんていらないだろうし、文明の発達というのはいいこともあればその代償もあるもんだナァ!ばっきゃぁろう!と夕焼けに向かって叫んだりするのだが、おれごときが叫んだところで世界はなにも変わらないね。知ってるよ。
それでも自分の仕事は毎日世界中からいろいろな魚が入ってきたり出て行ったり死んだり生まれたり、アシカがおりこうさんだったり不良化したりと生き物が相手なのでまいにち起伏があって助かっているが、まいにち同じ仕事をする人というのは本当に頭が下がる。なにか厳しい修行を経て悟りをおぼえた僧侶のように見えて、足を向けて寝れない。ご苦労様だと思う。世の中にはそういう人もたくさんいるんだろう。
おそらく、この先も毎日マジメに起きて水族館で働くので、コンチクショウと思う代わりにその怒りとみなぎる力を水族館にそそいで、すこしでもいい水族館にしたい。私の夢は今の水族館を建て替えて、水のキレイな水槽でカバを飼ってカバの飼育員になることである。大きな夢は尽きない。わっはっは。