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明日から6月なのに屋久島はまだ梅雨入りせず、島民の間では「今年は空梅雨なのかも?なんていう根拠の無い噂が回って居ます。
ちょっと余談みたいな感じですが、日テレの「秘密のケンミンSHOW」のコーナー「辞令は突然に」で3週連続、鹿児島編が放映されてましたね。
観られた方は結構驚いたことも多かったんじゃないですか?私も鹿児島県民を丸10年やっていますが、「え?」って思うことも結構ありました。今日は私が鹿児島県民になって驚いたことについてお話ししたいと思います。
ちなみに鹿児島編の第1回~第3回まで鹿児島の日テレ系のチャンネルでは日中ちょこちょこ「今週の『辞令は突然に』ではなんと京一郎が鹿児島に転勤になります!!」とわざわざ番宣が入ったぐらい鹿児島県は盛り上がってました。東京とかじゃいちいちそこまで番宣に気合い入れないのにさすが鹿児島県。
テレビと言えば鹿児島県の民放は現在、6チャンネル。でも私が屋久島に初めて来た20年前は5チャンネルしか無い為、日本テレビ系とテレビ東京系の番組はフジ・TBS・テレ朝系のチャンネルで夕方に再放送をやってることがたまにあるという程度だったため、「運が良ければ放映するかも?」という感じで子供ながらに「屋久島のテレビ番組は何て不便なんだろう??」と感じたものである。
そして移住に来た10年前にはいつの間にか日テレ系の放送局が開局しており、ようやくテレビについては東京並みに見れるようになり、屋久島ライフが何とかマシになるかなぁと安心した(笑)
20歳のときに東京から屋久島に移住することになり、ちょうど遊び盛りだった私にとってはまさに天国から地獄(笑)
まず、友達が居ない。人も居ない。(人口14,000人弱)虫が多い。お店も少ない。遊び場も無い・・・etc あの頃の私にとっては屋久島の嫌な部分はいくらでも挙げられたものだ(笑)
しかし住めば都っていうのか私が年をとって落ち着いたのか以前は帰省という名目で年に最低でも2回は実家(東京)に帰っていたが、今となっては実家に帰ることが非常におっくうになり、前回帰省した際も、出発日が近づくにつれ「荷造りもめんどくさい・・・東京行くのもめんどくさい・・・」と10年前のウキウキなど全く感じられなかった。
屋久島では車が最も有効な移動手段なのだが屋久島の場合、面積の割には人口がそんなに多く無い上、信号もあまり無いので、渋滞は絶対に有り得ないし、人ごみというのも年に数回ある夏まつりぐらいしか無いのでそれが自分の中で当たり前になってしまい、都会で渋滞や人ごみに揉まれるのが非常におっくうに感じるのである。
しかし、屋久島だけにこもっているのも退屈なので学校の長期休暇の際には子供と鹿児島市内に遊びに行ったりするのだが、鹿児島市内もそんなに混んでなく、先日も用事があって鹿児島に行った際に映画館で前の週に放映されたばっかりの話題の映画館に行ったのだが、鹿児島市内では2か所でしか放映していないにも関わらずガラガラだったので、のんびり映画を観賞することができた。
若かりし頃は、渋谷・新宿・池袋が私の庭の様なものだったのに、やっぱり「住めば都」という言葉は正しい。
だからこそ島内の若者は高校を出たら都会に旅立ち、落ち着いた年齢になったら屋久島にUターンする人が多いのだろう。
ちなみに都会で育って、定年退職後に退職金で屋久島に家を建てて移住される方も結構多い。
とりあえずこれからの若者の為にも屋久島の人口増加にご協力をお願いいたします(笑)
そういえばケンミンSHOWの中で鹿児島県内で多い苗字ランキング1位は「中村さん」になっていましたが、屋久島で一番多い苗字は「日高」なんですよ!!
私も屋久島人に染まりつつありますな・・・