今回は、私の未熟さを露呈する暴露話をしたいと思います。
恥ずかしいし、自分一人だけでなく関わった方々もあることなので
なかなかお話できることではありません。
ただ、時効かな、という厚かましい気持ちも最近あったりして、
あと記事で残すことで戒めにもなるかな、なんて思いまして。
暴露話といえどあまり具体的かつ面白おかしいような内容ではないのですが、いざ。
意外に思われるかもしれませんが、ネイル講師に必ずしも講師資格は要りません(最近はその傾向も変わってきてます)。
現場経験のある者が優先となる傾向があり、資格がなくても経験年数が長い経歴で採用されることもあります。
事実私自身もそうして雇われた経験があります。
私の場合は、お世話になった方の推薦ということもありました。
基礎を教えるクラスの担当だったこともあり、資格がないこともさほど問題ありませんでした。
ある程度の経験と技術レベルに達しているとの自負があったので、この際に他のネイリストと技術を比べるという発想もありませんでした。
そんな中の講師業。アシスタントや代理を長くしていたこともあり授業の進め方などにも不安はありませんでした。
スタッフからも生徒さんからも、呼ばれる敬称は「せんせい(先生)」です。
基礎クラスということは、生徒さんは当然これから基礎を学ぶネイルに関してはいわば素人さんです。
少しは手慣れたネイリストの技術は感心するものばかりで当然です。
自分ではそれなりに勉強してきて、当時も勉強し続けていると思っていました。
そこにこの状況、恐縮する気持ちが強かったものの、しばらくすると慣れてしまいます
「私はまあ上手なネイリストなんだ。なにしろ講師だし」と。
振り返るとこれが罠の張られた分岐点だったのです。
名づけて「せんせい(先生)の罠」です。
技術の上手い下手を判断してくれる機会は、独立したフリーのプロになるとなかなかありません。
いえ、実はあるのですが(大会に出て順位を付けてもらうなど)それを意識することが少なくなるといいますか。
あえてする必要もないと思ってしまいます。
プロでもサロンワークで上司のいる場合は別です。
大抵のサロンでは定期的な技術チェックが行われますし、大会に出ることを推奨する環境も存在します。
しかしフリーということは一人であることが多いので、そういった仲間がいる環境ではないのです。
お客さんははっきり「あなた下手よね」とは言いませんし、
技術を比べることの出来る同僚だっていません。
スクールは卒業しているのでダメだししてくれる先生のような存在もいません。
ましてや職場では「せんせい」なので正しいと思われていることがいつのまにか前提になります。
それに胡坐をかいてしまうと(意図せずにせよ)裸の王様になり下がるのもすぐです。
いくら素人に近い生徒さんでも、そのうち疑問を持ちます。
それは多分、技術うんぬんというよりは本物かどうかという単純な疑問だと思います。
習う側は常に自分の得た知識なり技術なりを同士で比べます。
情報交換も行われるでしょう。そこでは講師側の技量も問われ始めます。
あまりにも酷くギャップのある場合は、スクールのスタッフに相談することもあるのでむしろ発露しやすいです。
そうなればいずれにせよの対処を求められることになるので、これはこれで解決に向くでしょう。
しかしそれすらも今ひとつ起こりえない場合、こちらこそが問題になるのです。
講師自身が自ら気づくかどうか。
さらには、
気付いた(気付いていた)のに気付かない振りをしてたことと向き合うかどうか。
ここで罠は分岐に変わります。
私もこの分岐を経て今現在に至ります。
一度教える側になってしまうと、なかなかこの現実に真っ向から向き合うのは厳しいです。
自分の技術をいったん否定するところまで落とすからです。
関係ないと思っていた、高いレベルの世界に目を向け足を踏み入れる覚悟を問われます。ネイルの場合、その高みとはもはやストイックな「職人」のような世界です。
キレイとか早いとか、そんなレベルではない価値観が存在する世界です。
資格試験はその始まりにしか過ぎず、そこからもこの分岐で進んだ道は続いていきます。
大小の様々な分岐があり、どこがゴールなのかは誰にもわかりません。
自分がゴールと決めたらそこがゴールになります。
しかしゴールは成長の終わりをも意味します。
切磋琢磨、日々研鑽、こんな言葉を実感として味わう日々の連続です。
私の場合、すべては講師としての技量を高め保つためです。
なぜなら、自らの限界を突破しようと足掻くうちに吸収していくものは多く、引き出しが増える分教えられることも増えていくからです。
失敗を経験することは、失敗したら乗り越える攻略法も身に付いているわけで、
まだまだ失敗することの多い生徒さんの目線を捉えることも出来ると思うからです。
技術を高めていくことで、自分自身にも自信がつきます。
(自信を無くすことも繰り返すわけですが)
自信のあるレクチャーは、伝わります。
一番嬉しいことは、生徒さんの技術レベルが上がることです。
ある方から言われた、「生徒は自分を映す鏡」という言葉を嬉しく実感するときです。
教えることは自分が教わること。
私は覚悟を決めて以来、本当に実感してきたことです。
「せんせい」の敬称は、習慣として耳に慣れたと思いますが、
本当の意味での先生になるためにまだまだ勉強中であると思えるようになったのもそれからです。
「せんせい(先生)の罠」に陥ったあの頃、
いま振り返れば辛いこともたくさんあったけれど、
あの罠がなければ今の私もなかったんだな、と感謝のような気持ちも湧いています。
嬉しく楽しいことが多いなか、辛く厳しく悲しいこともあります。
それに立ち向かうのも必要な講師力。
選んだこの道がかけがえのないものだと思えるからこそ、
どこまでこの力をつけることが出来るのかまだまだ頑張るつもりです。