« | Home | »

2012/04/29

4月14日、とても悲しい出来事がありました。

その日の夜も、遠いところへすぐに駆けつけること
もできず、予定通り演奏の仕事をしました。1週間後
には前々から決まっていた札幌での帰省ライブも
ありました。
辛いけれど、でもみんなで音楽ができて、救われました。
優しくいたわって下さった皆様、本当にありがとうございます。
こんなに皆に応援してもらってるんだよーって、
報告したいと思ってももう返事はないんです。

でもきっと見ていてくれていると思います。

谷川俊太郎さんの詩の中に

『誰もいなくならないと僕は思う
死んだ祖父はぼくの肩に生えたつばさ
時間を超えたどこかへぼくを連れていく
枯れた花々が残した種子といっしょに

さよならは仮のことば
…』

という一節があります。
本当だな、と思います。

また元気にJunkの記事やライブ報告のブログも
書きたいです。

もう少し、待って下さいね。

 生前「早く有名になってパパの闘病記書いて
出版してよ」なんて嘯いてた父。出版できる
ほど有名にはまだなっていないけど(笑)葬儀の
時に読んだ弔辞を、そのままここに載せさせて
いただこうと思います。父がこれだけ頑張った
んだよ、って皆さんにも伝えたいな、と思ったので。。。

****************

パパへ

パパ、まずはお疲れ様でした。17年間病気と戦いましたね。
そして、最期に間に合わなくてごめんね。
知らせを受けて羽田空港から札幌の家に着くまで、何を見ても
パパとの想い出ばかりが浮かんできました。
飛行機が苦手だったのに大学の入学式に東京まで駆けつけてくれた
こと、帰省の度にママと一緒に千歳空港まで迎えに来てくれたこと、
一緒に行ったレストランやアウトレット…札幌駅に待っていてくれる
こともあって、二人で大好きなコーヒーを飲みながら進路について
相談に乗ってもらったりしましたね。
私がどんな道を選択をしても、私の判断を尊重して応援して
くれました。
昨年の三月の大地震のあと、再び入院したパパを見舞った時、
世の中が混乱してピアニストとしての自分の活動にも不安を感じていた
のを察したのか、

『オコは東京へ帰って演奏し続けなさい。オコの音楽で元気になる人が
  きっと沢山いるんだから』

こう言ってくれた一言、今でもずっと支えになっています。

パパとママと私は戦友みたいだね、とよく話しましたね。パパは病院、
ママは家、私は東京…戦う場所は違うけれど、三人支え合って、お互いを
思いやり合って、頑張ってきましたね。パパが居る場所は少し変わるけれど、
これからもそれは変わらないと思います。

大変な病気にかかってしまったけれど、治療法がある限り挑戦し続ける姿、
病床でも勉強し続ける姿、一日一日をできる限り精いっぱい生きることの大切さ
を身を持って教えてくれました。パパは私とママの、そしてみんなの誇りです。

 パパありがとう。天国でゆっくり休んで下さいね。

安樹子より

2012/04/29 10:23 | toyama | No Comments