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こんにちは。
昨夜ひさしぶりに夢を見て、あと少しで食べれそうな時に、目覚ましに起こされてしまいました。
「夢」をウィキペディアで調べてみると、
1、睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。
2、将来実現させたいと思っていること。願望。
とあります。
さらに読み進めてみると、夢には「はかないこと」「たよりないこと」という意味もあるそうです。
ちょっと昔の話になるのですが…。
高校を卒業したばかりの僕は、大学受験に失敗し予備校に通う、「社会人」でも「学生」でもない中途半端な立場でした。
勉強にも少し嫌気がさしていたので、名古屋の街をふらふらっとしていたら、フっと目にとまったビルの一角。
ショーウィンドーの中には、真っ赤なフェラーリが展示してありました。
自分の身分・立場もわきまえず、恐れ多くも扉を開けて中に入って受付けの女性に。
「カタログもらえますか?」
明らかに「あなた冷やかしなんでしょう」という、冷たい視線を突き刺さす女性の横から、中年の男性スタッフが話しかけてきてくれました。
「こんにちは。車が好きなんですか? フェラーリという車はですね、とてもいい車なんですよ。」
と、フェラーリという車の素晴らしさを、本当に親切に話してくれました。
多少なりとも僕も何か話さなければいけなと思い、ついつい口から出てしまいました。
「サラリーマンでも買えますか?」
その時、なぜ「サラリーマン」と言ってしまったのか。
中途半端な身分の僕に、すごく丁寧に話をしてくれたのに、お金の無い学生、ましてや浪人生である事がわかれば、決して購入する事はない、冷やかし客だと思わせてしまう。
それよりは、車好きな社会人を装った方が良いかもと、とっさに考えたのかもしれません。
その男性スタッフが、とても穏やかな表情で答えてくれたのは、今でも強く印象に残っています。
「ええ、中にはいらっしゃいますよ。みなさん、この車に乗りたくて一生懸命頑張られて、中には10年かけて買いに来て下さる人もみえるんです。」
以前、フェラーリ・オーナーズ・クラブの方に聞いた事がありますが、オーナーの7割の人は、元々は普通の人で、お金もコネも何も無くゼロからスタートしたそうです。
いつかは成功してフェラーリに乗る。
そんな想いを胸に持ち続け、起業したりして一生懸命頑張った人が手にする事が出来る、そんな車なんですね。
2007年頃だったか「幸せのちから」というウィル・スミス主演の映画がありました。
事業の失敗によりホームレスに落ちぶれ、最終的には成功を掴んだ実在の男性、クリス・ガードナーの半生を描いた作品で、人生が変わるきっかけになるのが、1台の真っ赤なフェラーリなんです。彼は路上で真っ赤なフェラーリを見かけて、思わず持ち主に質問をするんです。
「あなたに二つ質問がある。どんな仕事をしていて、そして、その仕事にどうやって就いたんだ?」
先日、たまたまなんですが、25歳のフリーター男性とお話する機会がありました。
その人、やりたい事や夢がないんだとか。
僕「車何乗ってるの?」
彼「持っていない。」
僕「いらないの?」
彼「欲しい。」
車に乗りたいって、素晴らしい夢じゃないですか!
一人暮らしもしないで、親の家にパラサイト(寄生)している。
海外旅行にも行った事がない。
どれも、すべて人生における立派な夢だと思います。
浪人生の時、フェラーリ・ディーラーの男性スタッフが僕に応対してくれたのは、10年先、20年先のお客さんに対して話しかけてくれていたんですね。
夢は、はかなくもろいものかもしれません。
だからこそ大切に育て、持ち続ける必要があるんです。
夢は見るものじゃなく、叶える為にある。
僕はあの日から本気でそう捉えています。
ちなみに、大学受験はさらにもう1年の年月を有するのでしたorz
じゃまた。