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18日はアニメオタクの淳さんとご一緒に、先月に引き続いて勝手に「JunkStageライター交流企画」(爆)を、挙行いたしました。
すでにご本人のコラムでご報告ありましたが、この日は午後にたかはしういかさんのオペラ養成所卒業公演が、川崎市麻生区の昭和音楽大学で行われたので、先月ご一緒した仲間として見に行きました。
そして夕方からは、ジャズピアニストの外山安樹子さんがソロでピアノ演奏をしていた、品川駅ビル「アトレ」内の「トランスファー」というレストランで、ディナーという企画でした。
先月のメイド喫茶訪問企画のときにういかさんから卒業公演のお話を聞いて、行ってみようと思っていたところに淳さんも賛同。
しかも当日の夜は、ちょうど外山さんが品川で演奏することになっていたので、ぜひ淳さんにも外山さんのピアノを聞いてもらいたいと思い、「二毛作」を提案したところこれも賛同していただけたものです(笑)。
さて、せっかくですのでお二人に差し入れでも持って行こうかな、と思っていたところにひとつのアイディアが思い浮かびました。
「そうだ、差し入れは和菓子にしよう。それも、高橋由美さんお勤めのあのお店で」
そんなわけで、早めに家を出た私はまず高座渋谷に向かったのでした(原爆)。
そして「みどりや」さんで和菓子を買っていきました。
残念ながら、由美さんにはお会いできませんでしたが(苦笑)。
そして午後2時に新百合ヶ丘駅で淳さんと落ち合い、昭和音楽大学に乗り込んだのです。
会場となった昭和音楽大学の北校舎は新百合ヶ丘駅北口のほとんど目の前にありまして、ここの5階にあるホールが今回の公演会場というわけです。
オペラは全編イタリア語で演じられ、舞台の上のスペースに日本語の字幕が表示される形になっています。
ういかさんからは、演技をより近くで見たければ前方の席で、字幕を見てストーリーを把握したければ後方の席でと事前にアドバイスを受けていましたが、私たちは思いっきり前方の指揮者席のそばで観賞しました。
この公演では「聖母マリアの月」そして「リタ」の2つの短編オペラが上演されましたが、ういかさんが出演していたのは前半の「聖母マリアの月」の方でした。
その「聖母マリアの月」の方ですが、まずは簡単にストーリーなど。
舞台はとある修道院(孤児院併設)で、複雑な家庭事情のため1年前にわずか1歳の息子をここに預けたカルメラという女性が主人公です。
1年ぶりに息子に会いにカルメラは遠路はるばる修道院に来たのですが、なんとその息子は当日朝に死んでいたのです。
結局修道院側はその死を隠し、「彼は今学校に行っているので会わせられない」という突っ込みどころ満載の理由で面会を拒否せざるを得ませんでした。
理不尽な理由で再会を拒まれたカルメラは、それでも後日の再会を信じて息子のために作ってきたお菓子を託して去っていきますが、最後はそのお菓子さえ修道女に踏みつぶされるという、不愉快極まりない終わり方でした。
そしてういかさんは、そのカルメラの古くからの友人でかつて「ニーナ」という名前だった修道女「パツィエンツァ」を演じていました。
修道院の女性の中ではもっとも小柄なパツィエンツァでしたが、最初は後援者の伯爵夫人から孤児院の子供たちへと寄付されたおもちゃの入った大きな箱を、ずっと持っていて大変そうでした(笑)。
そしてカルメラと10年ぶりに再会し、彼女の不幸な身上を院長に説明して息子との面会を「援護射撃」するパツィエンツァ。
しかしその息子の死を知らされると修道院の一員としての立場上、ついにカルメラに事実を告げられなかったのです。
この修道女「パツィエンツァ」としての自分と、カルメラの友人「ニーナ」としての自分との「板挟み」に苦しむ姿は、強く伝わってきたと思います。
ういかさんによれば、「パツィエンツァ」とは「忍耐」を意味するとのことですが、まさにその名の通りの役回りだったということでしょうか。
しかし驚いたのは、小柄なういかさんが声量豊かに歌いコミカルな動きからシリアスな演技まで自在にこなしていたことですね。
とてもあの、先月一緒にメイド喫茶を渡り歩いたかわいいういかさんとは思えない、見事な姿だったと思います。
この公演によって、「初花の芽」はいよいよ開き始めたのではないでしょうか。
さて、不愉快な終わり方でストレスがたまった「聖母マリアの月」の後は(爆)、休憩をはさんで愉快な「リタ」が演じられました。
登場人物はわずか3人、主人公のリタと夫そして死別したはずのリタの前の夫だけでしたが、リタは代わる代わる4人の女性によって演じられていて、プロレスのタッグマッチばりの「タッチ」で交代した場面もありました(原爆)。
簡単にストーリーをお知らせしますと、リタと現在の夫が経営するレストラン併設の宿屋が舞台です。
前の夫は船乗りで典型的な「亭主関白」でしたが、結婚式の後すぐに出た航海で遭難しそれっきり音信普通で、遭難死したものと思われていました。
そしてリタは現在の夫と再婚して宿屋を営むのですが、今度は見事なまでの「カカア天下」で以前の鬱憤を晴らす毎日でした。
そこへ、死んだはずの前の夫が帰ってきてしまったのです。
そこですったもんだがあったのですが、結局元のさやに収まることなく前の夫はそのままカナダに旅立ちました。
こちらは歌はもちろん踊りも豊富にあり、まずコミカルな踊りの決めポーズで笑いが取れました。
また宿屋で男2人ワインを飲むシーンでは、イタリア語の会話の中で突然「まずい!もう一杯」と日本語のアドリブが炸裂して、場内大爆笑でした。
また、前の夫にリタを押しつけて自分は自由の身になれると思い込んだ現在の夫が喜ぶシーンで、最後に一言「自由だ」とこれまた日本語でもらしたところでも、淳さんと一緒に大笑いしてしまいました。
実はそういったところを、ういかさんは控え室のモニターですべてご覧になっていたようです(水爆)。
ともあれ、陽気なイタリアオペラの楽しさを満喫できた後半の「リタ」で、前半の不快感も見事に吹っ飛びました(笑)。
終演後、シスター姿のままのういかさんにお会いすることができ、このときに「みどりや」で買った和菓子をお渡ししました。
どういう和菓子かは、ういかさんのコラムをご覧ください(笑)。
ういかさんにこれから品川に行くことをお話ししたら、「フットワーク軽いですね」と言われてしまいました(爆)。
そして昭和音楽大学を後にした私たちは、品川に向かいました。
小田急線で新宿まで行き、山手線に乗り換えて品川に到着した時点でちょうど午後6時を回ったところで、6時半から始まる外山さんの演奏によいタイミングで間に合いました。
この「トランスファー」に来るのも1年2ヶ月ぶりで、私もここで初めて外山さんの演奏を聞いたのです。
ちょうど夕食の時間帯で店内はけっこう混んでまして、最初ちょっと奥の席を案内されたのですが、「ピアノのそばで」とお願いしたところ見事ピアノど真ん前の席に移していただけました。
そして6時半から外山さんの演奏がはじまったのですが、今回もジャズのスタンダードナンバー中心の演奏でした。
私の知る限りでは、「ムーンリバー」や「星に願いを」そしてスティービー・ワンダーの「愛するデューク」などが演奏されました。
しかし、ピアノに置いてあった譜面は「愛するデューク」のみで、あとはなんとすべて暗譜で弾いていたのです。
また演奏しながらすばやくiphoneのスイッチを入れて時間をチェックするなど、実に芸が細かいと思いました(爆)。
約30分の演奏終了後少し外山さんともお話しさせていただき、「みどりや」のお菓子をお渡ししました。(内容はういかさんにお渡ししたのと同じです)
こうして午後7時過ぎに、淳さんと私の「交流企画」は無事終了したのです。
しかし今度の週末も、また何かあるかもしれないぞ、と(笑)。