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2012/03/20

無事に終演しました。
お越しいただいた皆さま、ありがとうございます☆

修道女Pazienzaとして、友人Ninaとして呼吸しました。

 

 

終演後の面会ではたくさんの仲間やお客様とお話でき、
初めてオペラを観に来られた方に「オペラってこんなに面白いんですね」と言っていただけたこと、
「今回扱った作品は絶対的に上演されることが少ないから、貴重な時間だった」と言ってくださった方

「難しい題材だったね。そして、いい役だったね。」と親友に言ってもらえたことが嬉しかったです。

終演してから、解放感というものは全くなく、ずっともやもやしていました。

私は、作品の中で物語を動かす役割をきちんと全う出来たのか。

打ち上げのとき、演出の先生にきいてみました。
「私は舞台に役として立っていて意味はありましたか?」
きいてたクラスメートは苦笑していました。

「お前、それは客席の反応でわかるだろ。よみとったろ。」と。

実際、私の役についてなにか感想を言ってくれた人はほとんどいなかったのです。

だから、全うできていないのではないかと感じました。

先程、来ていただいた一人の方がメッセージをくださったのです。

その中に、

「修道女の役柄でも、一人抒情的な役柄で、作品の中での位置づけもとても大切な役だったと思います。

それだけに、常に走り回って大変そう、と思いつつ、キレのある動作と詠唱も頑張っておられたと思います。

ただ、やっぱり衣装がいろんな意味で成約してたかな?

眼も隠れぎみだったし窮屈だったので、その分、最初の方は声もかたくなりがちだった、かな。

でも、一回きりの公演だから。回数を重ねれば、初花さん自身にももっと気づきが芽生えてきたと思います。」

という意見をいただいて、とてもありがたいと思いました。

今回演じた修道女。

なぜ、NinaがPazienza(忍耐、我慢)という名前を与えられたのかを考えることがありました。

楽譜にもシナリオにも、彼女の生い立ちもなにも書いていません。

周りの人がどのように彼女と接しているか、彼女がどんな思考で会話、行動をしているかで

読み取る必要がありました。

主人公の友人(10年ぶりの再会)という点。

主人公と生い立ちは似ていたであろう。

彼女のことを話す自分自身も負った心の痛み。

修道院の組織の人間に自分も染まりつつあり、神に仕える人間になったが「神や人は人間を救うことができない」ことを悟ってしまう点。

組織の人間として、あったかさをもつ友人(抒情的な性格)として、狭間をいったりきたりすること。

友人の息子が死んだことを聞かされて、「絶対に彼女に漏らすな」と言われパニックを起こす自分。

組織の人間として涙は見せてはいけない(我慢)

最後に「大したことじゃないわ。」と主人公を‘自分の本心ではない嘘’をつきながら(忍耐)励まして追い出す。

これはすべて、教会を守るため。

「あんたも追い出すの?」と主人公に言われ、無意識に組織の人間として取ってしまった行動に気がつき、

またさらにパニック(神のつかい⇔人間の心を行ったり来たり)。

友人が去ってから、人間味が勝ち、我慢していた涙を流しながら友人の後ろ姿を追いかける。

「組織ってのは軍隊みたいなものだ」ということ。

Ninaは人間味を一番に捨てるためにPazienza(人間らしさを我慢しなさい)と名付けられたのでしょう。

「もうあのころの私じゃないのNinaと呼ばないで。ここでは修道女なの。」と言ったのに

主人公は何度、Ninaと呼んでいるでしょうか。

修道女になっても、過去が捨てきれてない部分が見えてしまっていたからではないかしら。

Jankのライターの山根さん、祭影さんが応援にきてくださりました。
差し入れで、母が大ファンの高橋さんの和菓子をいただきまして、感動しました!!

感謝します!!

2012/03/20 01:54 | 未分類 | 1 Comment

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