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2012/02/29


広告人・吉田透氏の場合

広告界にとって必要な試練。渦中の人間が、信じ、愛せるかどうか。

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「僕は基本的に、広告が嫌いな人間なんです。」
無論、広告全般や広告そのものが、というわけではない。
最後のアウトプットであるクリエイティブは、広告が生まれるプロセスとの映し鏡だ、という。
「広告をつくる人間が、広告主と道筋をちゃんと共有すること。広告が生まれるプロセスが
 正しければ、広告主にも受け手側にも受け入れられるものが出来上がる。
 何かをすっ飛ばすから、広告が暴力的になって、嫌われるんです。」

吉田さんがこれまでに見たなかで最も美しかったという広告は、とあるビールの広告。
スウェーデンへ行ったとき、街中を昔ながらの馬車が走っていた。
それは、馬車のロゴをあしらった、あるビールの広告だったのだ。
ブランド名を大声で連呼することも、繰り返し商品を見せて強引にアテンションを引くこともしない。
「なんて大人な広告なんでしょう、と、感動しました。」
かつての江戸時代の広告のように、頓知や機転をきかせた町を汚さない広告は
日本人が本来得意とするはずだと吉田さんは言う。

「必要ないものも大いにある。無駄な出費をしなくなるのは健全なこと。
 これからは、広告の世界でもエコなものが受け入れられていくはずです。」

*     *     *

現代では、情報伝播の道筋の変化とともに、表現物に対する受け取られ方も変化している。
昔は、自分の書いたものが活字になったり、TVに出るというのはものすごいことだった。
しかし発信方法が多様化してきた今、広告を見たときに「自分もやりたくなるか」という要素が重要だと考える。
「絵描きに絵を売りますか? という話。
 僕だったら、絵描きには画材とインスピレーションを売る。」
たとえば自分の投稿や作品が載った新聞は、きっと見るなり買うなりするだろう。
デジタルかアナログか、ということではなく、インタラクティブ性が鍵を握る、
新しいメディアの使い方にこそ、これからの広告手法の可能性が潜んでいる。
「デジタルを“安いメディア”としか見れないのは、勿体無いじゃないですか。」

一方、メディアが分散している今のカオスな状況の後には、
揺り戻しが起こり、また収斂していくとも予測する。
「相対的に、マスメディアの影響力は今後また大きくなっていくでしょうね。
 それは過渡期を経た正しい変革で、作られた構造や政治によるものではない。
 自浄作用がはたらいて、極端に振れたあと、正しいところに戻る、そうなるはずです。」

ワイデンからネイキッドへ所属を移した吉田さんだが、
現在、中小企業支援機構のアドバイザーもやっている。
これまで多様な業種の150社ものキャンペーンやブランドコミュニケーションに
関わってきた経験や広告の手法というものが非常に活きているという。
「自分(=企業)は、何者なのか。なぜその商品が買う人を幸せにしてくれるのか。
 企業側の話を聞いて、それを言葉にして伝えること。
 それが正しくできれば、広告の手法は人の役に立つ。」

“正しい”“あるべき姿”というキーワードを、このインタビューの中で何度も聞いた。
吉田さんは、広告界と広告に関与する人々の性善説を信じている。
だから、この苦境をも、必然にして越えるべき「試練」と受け取っている。
KPIという名のもと、確かに効率重視が行き過ぎている昨今をも
これまできちんとした効果測定もしてこなかったツケを払わされているのだ、という。

「今の、この広告業界が直面している苦境は、
 広告業界がキチンとしたエコシステムのなかに入るための試練なんです。」

いま辛くても、未来のために正しい道を——
それは、自称「広告嫌い」の吉田さんには否定されるかもしれないが
広告を、それに関わる人々を、愛しているから、信じているからに他ならないと私は思う。

先人たちが築いた道を、私たちの世代は歩けるだろうか?
信じることが出来るか。愛することが出来るか。
きっとそんな踏み絵をも、この広告界の試練は孕んでいるのだろう。

吉田透(よしだ・とおる)
北海道生まれ。1985年博報堂入社、1988年よりマーケティング局勤務。
フリーランスを経て2003年、ワイデン+ケネディ トウキョウにマーケティングプランナーとして参加。
2012年2月より、ネイキッド・コミュニケーションズにエグゼクティブ・クリエイティブ・ストラテジストとして転籍。

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Special Thanks to T.YOSHIDA

2012/02/29 07:00 | yuusudo | No Comments