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かれこれ1ヶ月ほど前から、友人を介して受けた、可愛いちびっ子ちゃんのピアノの先生をしてます。
私は音大出身ながら、生徒を持った経験が数える程度しかなかったため、半人前な先生をしているわけだけれど、それでもたかだか1ヶ月でも生徒が成長する様を見れることはとっても嬉しかったりする。
生徒のティオちゃんは、4歳になったばかりで、もちろんピアノを触るところからスタート。
もう、可愛いのなんの。最初は生徒の面倒を見なくてはならない責任感から、どうなることやら、と内心冷や汗をかいていたけど、1ヶ月も経つと、いつの間にか自分の「癒しの時間」になっていたりする。
しかし、彼女の笑顔を見てほころんでばかりもいられない。
いかんせん、ピアノに触ったことの無い子だから、まず、手をどのようにしてピアノに触れば良いか、そこからスタート。
みんな、ちびっ子のスタートラインは同じだと思うけど、彼女も最初は指を指す形で一本一本出しては「ドーレーミー」と歌っていた。もっと簡単に言えば、最初鍵盤に乗せた両手は、じゃんけんで言う「グー」だった。
これは前途多難。。。
と認識、レッスン以外では親御さんも忙しくされていて、なかなか彼女と一緒に練習に付き合ってくれる大人もいない。「練習を日課」に出来ない以上、しつこいくらい「手をパーにして」見せて、ドレミの位置をとにかく反復練習させるしかない、と判断。
言って聞かせるのは難し。見て覚えさせる方が易し。
ある意味百聞は一見にしかず。w
これ鉄則。
ありもしない歌を鼻歌調にしながら常に「ティオ、手はパーだよ〜〜、グーはダメよ〜〜〜」と言い聞かせて1ヶ月。
お互いの努力の甲斐あって、先週のレッスンでは手をパーにして「ドーレーミー」と歌いながら、こちらを伺う彼女の姿が。
(残念ながらドレミと言いつつ弾いた音はソラシだったけど)
週に1度のレッスンで1ヶ月。ココまでこれたことは奇跡。
思い出せば、私の幼い頃は母親が常に隣にいた上に、ピアノを始めた頃は週2回のレッスンを受けていたはず。
先々週、日本人の物理学者のノーベル賞受賞が決定。50年研究して来て、ようやく陽の目を見た、という趣旨のことを言っておられた。それだけ物理学の奥は深いということ、そして物事を継続させることの難しさ、目標を持って生きることの楽しさを物語っていると思う。
それを思えば、私のアメリカ生活の数年などはまだ序章に過ぎず。
でも、生徒の手がグーからパーになったことは、私にとっても、可愛い可愛い生徒にとっても大切な、小さな第一歩。彼女の手の変化は、アメリカ大陸にぽっつんとたたずむ私の存在がほんの少し大きくなったと思わせてくれるようで、嬉しい瞬間でした。