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2010/11/12

皆様、おはようございます。

我々僧侶と一般人の間で問題となりやすいのが、
やはり葬式の問題だと思います。
僧侶に原因があって問題になることもある一方、
一般の方の意識が問題の原因となることもあります。
その根本的な要素が、今回とりあげる
「そもそも葬式ってなんなの?」
ということではないかと思います。

一般的な認識として、葬式というのは、
「告別式」と混同されることもあるように、
故人を偲び、別れを惜しむ儀式、
というのがあると思います。
特に宗教的な意識のある人間でもない限り、
そう思ってしまう、また、そうとしか思えない、
思ったことがない、というのは無理からぬことです。

ただ、一つ申し上げたいのは、
その趣旨の儀式に、坊さんは不要だ、ということです。
そういう葬式の中で、坊さんのお経って、
いったいどういう役割を果たしているんでしょうか?
僧侶が修する引導作法って、何になるんでしょうか?

私が思うに、一般的な認識の原因にあるのは、
引導作法に対する不十分な理解なのではないか、と。
ふとそんなことを考えました。

そこで・・・

「引導作法ってどういうものだと思いますか?」

もっといえば・・・

「引導って何でしょう?」

動詞とセットにしていう場合、
「引導を渡す」とう言い方をしますが、
これ、お葬式以外のシチュエーションでも使いますね?
例えば、ある会社員が不正を働いていたことが発覚したと。
社長がこの社員に「引導を渡す」という言い方をします。
あるいは、ある男がある女に恋をして、いろいろアプローチしていたと。
しかし、女にその気がない、でもしつこく迫ってきていると。
はっきり断ることを「引導を渡す」と言います。

一方、葬式で僧侶が引導作法を修することも、
故人に対して「引導を渡す」ということだといいます。

「引導」とは、「引っ張り導く」ということですね?
ということは、それを行う人が、
誰かをどこかへ、あるいは何らかの状態に導く、
ということになるはずです。
葬式の場合はどうかというと、
その葬式を執行する導師が、
故人をにわかに得度させ、
真言宗の場合、潅頂を授けて阿闍梨とし、
仏の境地へと導く、という行為です。

ただし、一般人がいきなりこれを理解できるとは思いません。
少し霊能者的な観点から僧侶のしていることを見ると、
おそらくこのように見えるでしょう。
故人に、自分は死んだのだ、という自覚を与え、
いつまでもこの世にすがりついておらず、
あの世に送り出してしまう作業。
少しよろしくない言い方をすると、
この世という区分から個人を追放してしまう作業。

一般人同士の話として使う「引導を渡す」は、
おそらくこのイメージを一般人同士のシチュエーションに
転用しただけではないか、と思います。
不正会社員の例でいえば、
「お前はもうこの会社にいられない人間だと判断された。出ていけ。」と。
恋愛の例でいえば、
「あなたと付き合う気は全くない。もう近寄らないで。」と。

いずれも、その人が所属している場所、
執着している状態から、
半ば強制的に引きはがし、放り出すことを意味します。

さて、このような「引導」に関する正確な知識がない状態で、
導師をしてくれた坊さんに「布施」が出来るでしょうか?
というのは、「この世からあの世へ追い出す」作業であれば、
別に坊さんでなくても、市井の霊能者や拝み屋さんで十分です。
その程度の認識さえもないのだとしたら、
その施主さんは引導作法の最中唱えられているお経を、
「お別れ会」のBGMとして使っているのと同じ、
つまり、音楽葬で演奏家にギャラを支払っているのと同じ、
そういう行為をしているだけになります。

故人を正しく仏道修行の道に導いてくれている、
という意識なくして、「布施」は成り立ちません。
仏教式の葬儀を行う資格はない、と言ってもよいでしょう。

一見するとかなり上から目線の話になってしまいましたが、
結構坊さんというのは偉そうな人、
それも、ちゃんと説明しないで単に威張っている人物、
というのが結構多いのですよ。
私はそうではなくって、同じ儀式を行うのであれば、
お互いに正確な知識を共有することで、
気持ちよく儀式を遂行できれば、という思いがあり、
あえて上から目線も辞さないで、
施主の側にもそれなりの知識を持っていただきたい、
という考えをご披露させていただきました。

2010/11/12 08:58 | bonchi | No Comments