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皆さん、おはようございます。
今回は、日本人の持つあの世についてのイメージと
日本に存在するあの世の情報について考えてみましょう。
日本人というのは、「あの世」を「この世」、
つまり、地球と、宇宙など、
たとえ何年かかるのであれ、いつかは物理的に到達可能なはずの場所、
そういう場所の対極として、物理的に到達不可能な場所、
という風にとらえています。
もちろん200億光年の彼方、ということになりますと、
小宇宙の寿命自体が200億年もないので、
現在地球で観測できるとしたら、すでにその星はない、
ということになるわけですが、
もし、寿命の進行を止められるのであれば、
場所としては・・・実現は不可能であるにせよ・・・
理屈としては到達できるはずの場所である、
すなわち、この世である、と
・・・そこまで考えてはいないにせよ、
確認すれば、それは「この世」の範疇内と思うはずです。
(嗚呼、なんと理屈っぽい私!)
日本人にとって「あの世」とは、
死ぬことでしか到達できない世界のことを意味します。
つまり、この宇宙の中にはない、ということです。
さて、ごく少数の意見を除けば、
昔の日本人にとって、「あの世」の存在は当然のことでした。
それが仏様の世界であれ、地獄であれ、
はたまた八百万の神々の世界であれ、
物理的手段では到達不可能な世界があると信じられていました。
現代は、あの世がどんなものであるかを論じるまでに、
そもそもあの世なるものがあるのかないのか、
そこからして意見が分かれるようになっています。
主に「唯物論者」と言われる人たちが、
「死んだら無だ。あの世などない。」
と言っているようです。
ちなみに、これは論理学では当たり前の話ですが、
「あの世がない」という仮説は証明のしようがありません。
たとえ普通の「もの」であっても、
ないことは証明のしようがありません。
どんなに探して出てこなくても、
見落としている可能性がゼロだとは断定できないのですから。
物理的世界に限定してさえそうなのに、
「あの世」がないことを証明しようとするのは無理です。
それを証明しようとすると、まずは死ぬ必要があります。
しかし、死んでみたら何もなかった、
よし、ではそのことをリポートしよう!
そう思ったら、それは死後の世界があった、という証拠になります。
理屈上、ないことは絶対に証明できないのです。
一方、死んだ後にも何らかの世界があった、
ということは「生まれ変わり」の報告によって、
「ないわけではないらしい」と推定されています。
総合すると、あると考えておいた方がよいらしい、
という結論に達すると思います。
さて、ここでもう一つの問題にぶち当たります。
日本人は先祖を極めて大切にします。
本来仏様を祀るべき仏壇の中に、
位牌や過去帳という形で先祖を祀り、
本尊以上に礼拝の対象と考えるのです。
しかし、生まれ変わりという概念をそこにぶつけてみると、
結構矛盾や齟齬を来すことがわかります。
今度生まれてくる子供が去年死んだおじいちゃんだったら・・・。
いったい仏壇の位牌に向かって手を合わせるというのは?
いや、その子供が仏壇の位牌に手を合わせるって、
自分を拝んでることになるの?
先祖とはいったいどういうものになるの?
そういう疑問が多々湧くはずなのですが、
その疑問に真正面から取り組む人も、
解答を与える宗教者もなかなかいません。
いるとしたら、たいていが新興宗教です。
まあ日本人のあの世観というのは結構おおざっぱなのですが、
死ぬことに対して恐れを抱く人はかなり多数いるように思います。
死に至るプロセスについて恐れるのはわかります。
死ぬ時に苦痛があったらどうしよう。
それが病から来る苦痛かもしれない、
殺される時の痛みかもしれない、
昔の残酷な処刑なら、その痛みは確実に味わうことになる。
どんなに死後を恐れない人でも、
死ぬ時の苦痛はない状態で死にたいと思っています。
しかし、死んだ後のことについての恐れは、
これは死後の世界をあると思う人もないと思う人も、
誰にでもあるようです。
次回は、死後の世界について、
いくつかの考え方をご紹介しましょう。
それによって、恐れの種類を分類できるはずです。
まずは、往生要集による日本の死後観の概略を述べたいと思います。