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皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
この正月は、信貴山朝護孫子寺の塔頭である
千手院さんで迎えました。
もちろん、初詣に行ったわけではありません。
除夜の鐘を突きに行ったわけでもありません。
マイミク松本真弘尼と一緒に、
千手院の庭で厳修される柴燈護摩の助法に行ったわけです。
結論から申しまして、大変勉強になり、修行にもなりました。
特に、三昧の修行としては申し分なかったです。
主な仕事内容としては、
護摩の横に立って錫杖を振り、読経を続けること。
お参りの方々が書かれた添護摩木を火の中に投入すること。
護摩堂前に積んである2011年分の護摩木を持ってきて、
同じように投入すること。
それらの護摩木を持ってきて、加持をすること。
その他に太鼓を叩く仕事、参拝客に加持をする仕事、
護摩木を受け取る係など、仕事はいくつもあります。
私は1日と3日は護摩木を加持して投入する係、
2日は誘導と加持をしました。
しかし、護摩木というのは面白いもので、
そこに書かれた祈願から、色々な人間模様が見えてきます。
あーだこーだと書いた後に、
「タミちゃん、大好き!」
・・・あのなあ、そんなことはタミちゃんに言え!
本尊さんだって、「俺にそんなこと言われても・・」と困るだろうよ。
そもそも、本人に言った方が、絶対ご利益あるぜ。
昨日は一言、「年収一億円! 42歳」
まあ、志は大きい方が良かろうけども、一つ尋ねたい。
あんたの今の年収はいくらだ?
8000万とかあって、あと2000万よろしく、というのならわかる。
でもな、今200万とかで一億と吠えるのはやめてくれよな。
え?600万だったら?・・・そりゃ五十歩百歩だろ。
3000万未満なら、まず五十歩百歩の世界だぜ。
わけわかんないのもありますぞ。
どうやら病院の看護婦さんらしきお方。
「患者の家族が病院までチェックしに来ませんように。」
なんだ、そりゃ?
そもそも、護摩木はツイッターじゃねえぞ。
色々ご事情がおありと見えるが、
相談なら乗ってやるからうちまで来な。
それとも、チェックされると困るようなことしてる病院かい?
何枚も同じ人が書かれた護摩木を入れることもあります。
中にこんなのが。
何枚か続いた後、「修行成就!」と書いてある。
なるほど、この人坊さんなんだな。
そう思って次をめくると、またもやこの人が、
「役員復活!」
・・・・あのう、なんかしくじって役員やめさせられたのか?
それで坊さん始めたのか?
同じ人といえば、護摩堂前に積んであった護摩木に、
こういうのがありました。
どうやら1月11日から15日まで日参したらしい。
祈願は「京都大学合格!」
・・・ん?今はまだ1月3日で、15日とか来てない。
つまり、これは去年の1月の話だよな?
ひょっとして、日参したすぐ後に京大の試験だったのでは?
あとで確かめると、実際そのあたりの日程だそうで。
本人の祈りが通じていればいいんですが、
護摩木にすべてを託されていたとしたら、さてどうだったんでしょう?
合格してくれてればいいですけど、
今まで焚いてなかったので、本尊への取次が成立してなかったら?
まあ、寺には寺のシステムというものがありますから、
これは寺ばかりを責めるわけにはいきません。
そこで、こういう期間限定の祈願に関しては、
護摩木に書くのではなく、3000円なり5000円なり出して、
護摩札を、護摩祈願厳修の上、授与してもらうようにしましょう。
日参して500円の護摩木を5本も買うのなら、
一度のお越しで3000円の護摩札を授与してもらいましょうよ。
これが、確実に祈願する方法だと思います。
このように、内容も様々ですが、
護摩木の使い方もまた様々でして・・・
ある1000円の、大きい護摩木を投入するのに読もうとすると、
・・・・一面漢字だらけ。
面喰ってよく読んでみると、「家内安全 身体健全 心願成就・・・」
こいつ、置いてある例文をみんな写したんじゃないのか?
強欲にも程というものがあるぞ。
・・・と思うと、次の護摩木はその家族が、「家内安全 身体健全・・・」
さっきのほどじゃないけど、相当数書いてある。
なるほど、そういう家族なのね・・・・。
と、思いきや反対事例もあります。
同じく大きな護摩木に、てんとう虫くらいの小さい字で、
一つだけ祈願が書いてある。
どう考えても余白が9割を占めています。
肝っ玉が小さいのかねえ・・・。
それなら500円の小さな護摩木でいいじゃんよ。
ともあれ、知り合いも増え、楽しい「合宿生活」でした。
もっとも元旦は大変でしてね、
0時から3時まで柴燈護摩。
なんだかんだで1時間半の仮眠。
翌朝準備と朝食の後、9時前から5時まで・・・のはずが、
1時間の延長がかかり、6時までびっちり柴燈護摩。
交代でぶっ通しをやります。
さすがにその晩は倒れるように寝ました。(笑)
とはいえ、次も9時前から5時までの護摩。
決して楽ではありませんが、比較的楽になる方法はある。
それは、たくさん仕事することです。
特に、護摩木を投入する仕事についたら、
ひたすら真言を唱え、三昧に入った状態で護摩木を投入すること。
ここが、三昧の修行、と申し上げる意味合いです。
さらなる口伝を開陳致しましょう。
これは恵印法流や柱源に伝わる発想であり、
チベット仏教の「チューの瞑想」を基にした私の案でもあるのですが、
自分自身を火に投入するとか、自分自身が火となって燃えている、
という観想をし続けることです。
自我執着というものを効率的に断ち切ることで、
逆に安楽を得る妙法です。
そもそもの真言密教の教えを思い出してみましょう。
その基本であり、奥義でもあるのは、
身口意の三密行です。
印を結び、護摩木を放り込む作業、作法をするのが身密であり、
口で真言を唱え、読経することは口密ですが、
それだけでは三密が揃いません。
揃ってこその三密なのです。
では意密は何か、といえば、それは観想法です。
護摩に限らず、どんな行法であっても、
そこには三密が完備されているべきです。
図らずも、年頭の特別説法みたいになってしまいましたが、
実は、これは真言行者としての心得であるとともに、
オペラ歌手、舞台役者としての心得でもあるのです。
セリフを言い、歌い、体を動かしてお客に見せることは出来ます。
しかし、意密とも言うべき、解釈、感情移入などの、
内的作業が行われていない歌や芝居では、
演技として完全とは言えません。
やはり舞台芸術も、身口意の三密が重要であり、
結局やっていることは同じなのです。
他の仕事でも、やっぱり同じことではないのでしょうかねえ。