« なんでこんな仕事をしているの? | Home | 日本からのお客 その3 »
日本でまだ数えるほどしか存在しない
ローフード専門店。
最近、この分野の方とよくお話しをする。
ちなみにローフードとは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89
マクロビオティックやヴィーガンは、
野菜に加熱をする。
ローフードは自然のままに、
火を通さずに、
ほぼ生状態で素材を食す。
「酵素」を多分に摂取できるという利点がある。
大人になってから始める新食習慣は大いに
いいことだと思いますが、先日、それを子供に、
まだよくわかんない子供に、摂取させる親を見かけた。
カフェで母が気持ちよく、子に対して、
いわゆる生食を食べさせている光景だが、
家に帰っても野菜だけであったり、
必要な時期に必要な栄養を摂れない、
となると非常に子の身体の為にはならない。
第一、 幼い腸が耐えきれない。
腸内清浄家コンニャクマンとしては痛く思う。
例えば親がヴィーガンであるからといっても、
その親もある程度、
成人してから何がしかのきっかけから、
食生活を切り替えたりしたはずである、
幼児・子供の段階から、特異な食生活をして、
それこそガリガリの子供を紹介されて、
「うちの子、可愛いでしょ」と言われても、
逆に可哀想に感じるのが普通であろう。
世の中にはバランスが存在する、
いろんなバランス、経済をうまく循環させる為、
市場を発展させる為、とりわけ昨今は緊迫した情勢の中、
風評ひとつが大怪我のもとになる。
思えば、とっくに僕らは放射能を浴びている。
直接被ばくはしていないまでも、
間接的に浴びている。
昔、長崎に原爆が落ちた時、
とある小学校の裏庭に隠れて、
被ばくせずに済んだ人たちの話を聞いたことがある。
その堀の中には、蓄えられた味噌があり、
その味噌からなる菌の御蔭で、
被ばくせずに済んだということらしい。
本来あるべく主食とは何でしょうか。
昔の人たち、
昔というのは戦前の暮らしから数えて、
テーブルには、白飯、味噌汁、惣菜、
これだけで十分だった。
家族で一緒に食事する事自体がオカシク思われる昨今。
こんなにポンポンと街中に飲食店が無くてもいい。
「絆」といいながらも、TVから流れるのは都合のいい画だけ。
都会暮らしが良くないのか、
都会暮らしで病んでるのか、
飽食の時代、けれども日本はさらに貧富の差が出てきた。
貧しくても生きがいを感じてる人、
金持ちながらも不快な日々を送る人、
様々である。
何がしか暗黙地に絶対という根拠のないものを、
人間は植えつける。それがやがて、草となり葉となり、
気付いたころには蔦に巻かれ自分で自分の首を絞める。
ローフードという分野が眼を開こうとしている気がする。
大昔、火の使い方さえままならない人がいたとしたら、
あるものをそのまま食す、これが当然だったかもしれない。
緩い事考えてるなと思うかもしれないが、
世の中何気にシンプルにできているわけで、
本質に「王手」掛けるのを遠慮しているだけかもしれない。
本来あるべくありのままの姿勢、行いが、結果として
万人の納得を生む。
人は嫌われる事を嫌がる。ちなみに僕は、
落合監督の采配は支持する。共感を覚える。
何故か、「粗食のすすめ」を書いた幕内秀夫さんなどの、
的を得た事をいう方ほどマスコミは好まない。
群れから離れ孤独に耐えられなくなり、
命を絶つ馬鹿な大人がまだまだ増えている。
自分を成長させる術が解らない大人もいる。
思い詰めた「そういう選択をした人」を想うと、
神様とのゲームでもしてるんかいなと思ってしまう。
食し方にしてもそう、
素材の本来の姿がわからんで調理する人より、
土と戯れて野菜を愛でる人の調理とでは、
明らかに違いがあるということを伝えたい。
とはいえ、食産業もよく考えているわけで、
マクドナルドがハンバーガーをどれだけ安くしても、
ドリンク代で儲かるわけで、子供は楽しいわけで、
化学調味料に麻痺させられた味覚に、
これがいいぞとさらにサプリだなんだと飲んでは、
若い女性は薬漬けになるわけで、
正しいを追い求める程に、
それは「 卍 マンジ 」に縛られる感じで、
ああ「気持ちがいい」と。
野菜も生きている、土も生きている、
その中で人間は活かされている、
そう考えると、少しは生き方も違って見えるもの。
来年から本格的に「国境なき料理団」が始動される中で、
いろいろと考える時期である、ま、それぞれに師走です。