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例えば今ここに包丁があったら、わたしは彼を刺すだろうか。
規則正しく上下する薄い胸を見ながら私はそんな夢想をして、膝を抱く。あるいはここに、決して証拠が残らない毒薬があったら。首を絞める紐があったら。
答えは出ている。
わたしには、決して出来ない。
わたしと彼は合コンで知り合って、あったその日に寝て、付き合っているのかいないのかよくわからない状態をずるずると経ていまに至る。彼が既婚者であることは寝た翌日には知れたし、だから彼だってわたしに夫があることくらい、感づいていたはずだ。けれど二人でいるとき、どちらもそのこと自体を話題にしたことはなかった。家族や冠婚葬祭やイベントを注意深く避けて、この関係は必要以上に長続きしてしまった。
二十代の終わりに始まった関係は、結局恋でも愛でもなく、惰性でもっている。最初はお洒落をして背伸びして近づきたいと思った背中はいつの間にか丸まって白髪まじりの後頭部まで見せるようになったし、わたしだって上下揃いの下着でない日でもそのまま会うようになった。会ったとしても食事すらせず、真昼間からホテルに行ってホテルで解散という付き合いではときめきだの背徳感だのを持続する強制力はない。わたしたちはいつだって、単なる動物のようにセックスをして、事が済めばあっさりと熱を消した。そういうように、自分を躾けた。
だから、初めて夜をともにした今日、わたしは眠れないでいる。
彼の寝顔を見るのは初めてだった。この寝顔を見るために、わたしは夫にクラス会だと嘘をついた。何度も付けない嘘だからこそ、わたしはそれを方便にした。何も知らない夫は笑顔でわたしを送りだしてくれた。では、彼は? この男は、わたしと会うためにどんな嘘をついたのだろう。
いつか戯言で、定年を迎えたら一緒に住もうか、と誘われたことがある。
本気にしたことはないしそのときだっていつかねと答えたはずだ。だってその時彼はまだ四十代で、定年なんて永遠みたいに先のことだと思ったから。わたしだって子供がまだ小学校に入ったばかりで、このずるずるとした状態が続くと信じていたから。
なのに、彼は、来週で定年になるのだそうだ。定年後は実家のある街にうつって、畑づくりをするのだそうだ。土いじりが趣味だったんだ、なんて以前聞いたことのある話を幸せそうな顔でするのだ。その夢の風景にわたしがいないことは明白だった。わたし自身だって、そんなことは分かっていたのに。
もし、ここに包丁があったら。刺しても血が出ないような、そんな刃物があったら。
わたしは彼を刺したかもしれない。
でも、それをすることはきっとないだろうと信じて、わたしは初めて見た男の寝顔を眺めている。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
*今回より、しばらくの間隔週更新とさせていただきます。