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2011/11/10

映画「究極の幸せ」
長期不在で大変恐縮です。世界中を撮影ロケでまわっており、まったく自分の時間さえ持てず今日までやっておりました。

先日、映画のテーマ曲のサンプルが完成しました。作曲家に江口貴勅さん。OPから引き込まれた・・・ 弦楽器のレイヤーと厳粛さと恐怖とを感じるような、現実を突きつけられるような感じ。しかしどこかに救いがある。音を言葉で表現するのは難しい。


生命という高いところから涼子、亜津子、景子たちの

それぞれの小さな世界へとゆっくりと降りてゆく。

そこからさらにここのインナーな部分、エモーションの部分に

深くはいってゆく。

音楽は映画のBGMではない。音楽そのものが映画なんだと思う。

花屋で働く景子。彼女は自分らしさを貫いて生きようとする。一見その素直さが本来の人間のあるべき姿なのかと思うようなことが自分の普段の生活にもある。みんな一生懸命自分を殺して生きている。大なり小なりそうすることで調整している。たまにそういう風に見えない人に出会うと僕は羨ましくなったりする。しかしいざお付き合いしてみるとそういう人に限ってケアレスだったり自分主体でありすぎるため周囲への配慮が欠落したりもする。人ってどうあるべきなんだろうか?いつも考えている。

よく人としてどうなんだろうこの人は?という人と仕事をする。肩書や給料の差でえばっているような人や、部下を守れない人。不思議とそういう人のところに仕事は多い。人にやさしく配慮深い人と仕事をするとたいてい時間やお金にルーズだったり、バタバタすることが多い。任務遂行のためのハードシップも避けようとする場合も多い。どっちがいいか一概に言えないのと同じように、人間のありかた、幸せの形も考えさせられる。

しかしそれらがどうであれ、当初から行っているように今回の映画の軸になっている女性はみんな女神である、という意味。言い換えればヒーローである。それぞれの人生の主人公でなければならないと思うし。自分の意思で決断し、自分の意思で進むしかないと思う。景子はそれに気が付いていくのかな?景子の成長とはなんなのか?自分が幸せになろうとすればするほど幸せになれない。そんな景子を見守りたい。

2011/11/10 11:07 | hayamizu | No Comments