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曲独楽の公演が盛んにあった時代がある。
江戸時代。
この表現ではとても遠い響きなので、興味がわかない。
1800年代から1900年代と書いたら、どんなか。
たいして変わらないか…。
2011.11.10現在、早稲田大学の演劇博物館で11/13まで展示中の以下。
七代目市川團十郎展-生誕二百二十年によせて-
同じ時代の出来事を理解しようとすると、
そのことよりも他のものを知る必要があるわけで、
曲独楽の江戸時代の流行を想像してもらう為には、
当時のこともわかってもらわなくちゃいけないのです。
この展示の付記に、生誕220年によせてー、とあります。
七代目市川団十郎が生きていた時代、1700年代は、
曲独楽・つまりコマの曲芸が劇場で大評判を得ている時期で、
まったく同じ時代に、お客さんの入り具合を競争する芸であったことは、
曲独楽師である私でさえも、今はあまり想像できない世界ですから、
これから一緒に、この江戸時代の流行期の曲独楽を調べる事に、
お暇な時にお茶でも飲みながら、どうぞお付き合いくださいませ。
いろんな事が調べられる時代が、この平成の現代の良さですが、
調べても本当に正しいことなのか、わかりませんし、まとめて考えないと
各情報はバラバラなので、結構面倒くさく、本当に興味が無い限り、
誰も取り上げないものです。
曲独楽師の私としては、芸についての「できる、できない」が理解できますので、
その点は自信たっぷりに掲載紹介させていただきますね。
歴史的な事実は、あらゆるほかの専門家の先生にお任せするとして…。(^^;)
当時、まだ今のように芸能が分業化されていなかった時代…、
道で演じる事が由来のものでは、曲独楽が、おそらく最も大きな団体です。
曲独楽から枝分かれしていく芸は、このあと、
足芸曲芸、水芸という分類になると思います。
手妻(日本のマジック)も、曲独楽と一緒に当時は興行していました。
曲独楽が見世物として道で演じた1700年初期の流行を受けて、
時代が近代に近づくに連れて、小屋での興行となっていきました。
しかし、なんで曲独楽なのかといいますと…
これには、徳川幕府の思惑と言うか、政策もからんでいます。
人心をつかんでいる必要がある統治者に協力し、
お目こぼし的な扱いを受けていたのが、曲独楽師だったと言われています。
芸能が世界と交流し、サーカスがやって来るのは、明治になってからです。
江戸時代の曲独楽は、いわば、開国以前の、日本式サーカスと言えるでしょう。
その細かい事は、これからこれから…。