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2011/09/06

両親に報告するのは、絵の完成の時とふたりで決めた。

この屋敷の見取り図が完成したら、家族でささやかなパーティを開くことになっている。祝い事が好きな母と、それと同じくらい楽しいことが好きな父が申し出て、わたしは一も二もなく承諾した。このところなぜか体調が少し悪かったけれど、理由のわからないそんな不調も一瞬で吹き飛んでしまったくらいだ。母から話を持ちかけられて、勝郎くんも照れくさそうな顔で頷いた。

「今までそんなこと、されたことないです。ホームパーティなんてはじめてだ」
「じゃあ張り切って仕上げて頂戴ね。うちのひとも楽しみにしているの」

母は女優さんのように、ぱちんと綺麗なウインクをした。わたしと勝郎くんは顔を見合せて笑った。笑いすぎて母がむくれるくらい、お腹が痛くなるくらい、わたしたちは幸せな気分を引きずって笑い続けた。
だから、その場でなら、父もそんなに露骨に反対しないだろう、という気がしていた。母は勝郎くんに好意的だし、わたしたちが交際していることも黙認してくれている。助け船も貰えるだろう、と話はまとまり、
――そして、運命のあの日が来た。

絵が完成したのは、小雨の降る蒸し暑い日だった。
数日前からガーデンパーティの準備をしていた母はがっかりし、メイドを総動員してリビングを飾りつけてその鬱憤を晴らしたようだった。ピンクのリボンやレースのクロスでセンターテーブルを飾り、広い部屋の中に自慢のばらを惜しげもなく活けてある。そのせいか、部屋の中はいつもにくらべてずっと華やかだ。
あまりの飾り立てぶりに唖然としていたわたしに、母は手ずからお湯を沸かして紅茶を淹れてくれた。さっき、執事やメイドたちもみんな帰してしまったので、今この家にいるのはわたしと母の二人だけである。この家の話だから、家族だけで祝いたい、と父が望んでいたからだ。きっと内緒にしていたつもりのあの絵に隠された秘密のことだろうと思う。
久しぶりに飲んだ母の紅茶は、どこかほんのりと甘かった。

「ちょっと、お祝いだからってやりすぎじゃないの。お母さんたら」
「これぐらいしないとね。だって、おめでたいお話もあるんでしょう?」

ちびちびと紅茶を啜るわたしに、母はそう言って笑顔を見せる。意味深な、例の笑顔。

「おめでたい話って?」
「あら、隠さなくていいのよ。お母さんにはちゃんと分かります」

母は勘違いしているんだ、と思うと、なんだかくすぐったかった。今すぐ全部打ち明けて、違うのそうじゃないの、と言ってあげたかった。

この頃、母は大げさなほどわたしのことを構いたがる。まるでもうすぐ手離さなければならないと思っているように、この頃食の細くなったわたしの好物を並べ、姿の奇麗な花ばかりを選んで部屋に飾る母は、なぜかどこかしら必死に見えた。おかしなお母さん。わたしたちは、この家から出て行くなんて考えてみたことなんてないのに。

「おかあさん、あのね、……」
「あ、ちょっと待って。勝郎くんが帰って来たみたいよ」

話してしまおうか、と思った瞬間、玄関でなった軽やかなチャイム音に母は身軽に出て行ってしまった。まったくもう、と思いながら、わたしは酷く嬉しかった。母は今、「帰って来た」と言ったのだ。今のところまだ他人の、家族になる予定の男の子に。

勝郎くんは昨日、家に帰った。少ない荷物の大半は置きっぱなしで、小さな鞄一つに母の手作りのチーズケーキと父の会社の名刺をしのばせて。 

「きちんと話さなくちゃならないと思うから、いったん帰るよ。心配しないで」

話してくる、の内容は、わたしのことだろうと思う。それなら、心配しないでといわれてもしないでいられるわけがない。昨夜は一睡もできず、ひたすら勝郎くんの残していったシャツを抱きしめて祈っていた。どうか勝郎くんとご両親がうまく話せますように。わたしと彼が、この家で家族になることを許してもらえますように。そして、勝郎くんがどうか笑顔で帰ってきますように――

だから、リビングに二人が戻ってきたことが話し声で分かっても、わたしはそちらを振り向くことが出来なかった。なぜか、とても怖かった。

勝郎くんの絵は、父の席の真正面から一番見やすいところに備え付けられている。
細かいところまで丁寧に書き加えられた、世界にたった一枚しかない、秘密を忍ばせた宝の地図。
その正面にいつの間にかふらふらと歩み寄っていたわたしは、だから勝郎くんが何も言わないで隣に来た時に、急に泣き出してしまいそうになって、あわてて自分を叱咤した。なにを考えているんだ、わたしは。まだ勝郎くんは何も言っていないのに、勝手に一人合点してくよくよして。ばかみたい。そう自分に言い聞かせて、それでもなぜか顔を合わせることはできず、二人で絵の前で立ち尽くした。巨大な地図は迷路のようだった。勝郎くんが冷たい手でわたしの手を握り、強く、力をこめた。大丈夫だと言い聞かせるように、勝郎くんの体温がじわじわとわたしのことを勇気づける。
大丈夫。きっとうまくいく。わたしたちは、だってひとりじゃないんだもの。

「どうしたの、そんなところに突っ立って。お父さんも帰ってきましたよ」

いぶかしげな母の声が聞こえてくるまで、わたしたちはそのままでいた。もうすこし。あと少し。そう思っていたのに、勝郎くんの筆だこの出来た指先はすっと離れて踵を返した。

いつの間にか、父が戻ってきていた。

next  vol.12→9/7公開

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※この物語は2011年9月11日に上演されるJunkStage第三回公演の物語を素材としています。(作・演出・脚本 スギタクミさん)
※このシリーズは上記公演日まで毎週月・木曜日の2回公開していきます。…という予定でしたが、公演開始日までに終了させることができないため、今週は毎日更新です。申し訳ありませんが、いましばらくお付き合いください。

2011/09/06 11:04 | momou | No Comments