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■願望=
中高年に広がるピンピン生きたい,その願望こそ惜命である
そして子供や家族に迷惑かけたくない~
これこそ「命を惜しむ」事への息遣いである。
「恋愛成就」「立身出世」「商売繁盛」
その他 どんな願い事も命あっての願望である。
@酸素をしっかりとり
@1日1万歩を目指して歩く
@自分で出来る事は自分でする
@くよくよしないで前向きに生きる
@社会との接点を持ち常に交流を図る
この5か条をしっかり心に留めて常に「惜命」でありたい
戦争中は「命を惜しむ」なんて「トンでもない非国民」であり「卑怯者」とされた。
そんなことは無い
「命を惜しんでこそ 生きたい願望があればこそ」家族の絆も生まれ 国の繁栄もある
■心の風景(1)=
終戦の時、日本へ進駐してきた米軍の文明に憧れた時代があった
哀れな敗戦国民の「心の風景」である。
昭和20年5月29日、横浜大空襲で町は焦土と化した。
わずかに大きな建物やハイカラな「西洋館風」建物は攻撃を免れた。
米軍が日本に進駐してきた折に必要であろう建物は計画的に攻撃を避けたのだ。
米国から見れば日本なんか「赤ん坊の手を捻るより楽に」どんな計画でもたてられるほどの「文明の違い」が有ったのだ。
日本軍は国民に知られては困る事には全部 蓋をして「東洋一の日本」であると国民を納得させていた
敗戦後 大きな建物は接収され進駐軍の官舎となり米兵は颯爽とし堂々としてスマートであった。
ヨレヨレ日本兵など足元にもよれない
@映画でしか見た事も無い電気冷蔵庫のある暮らし
@洗濯板を使わないで電気で出来る洗濯。
何から何まで「進駐軍の生活から透けて見えるアメリカの文明。
~皆憧れた!!
ダンスパーテイにロカビリーブーム。
戦争で抑圧されていた青春が爆発する様に若者が新しい文化を生み出していった。
そのうち朝鮮で南北戦争を始め、偶然にも日本は軍需景気に沸きこんにちがあり、社会全体がビビットに輝いた。