« トスカーナで餃子レッスン | Home | 古今東西音巡り 2017-04-03 12:15:46 »
面白い役者(声優)だー
なんて言われると、悪い気はしないーどころか嬉しかったりします。
色んな意味を含めたり差っ引いたりしての “面白い” だとは思うのですが、声優のような仕事をしている身としては言われて嬉しい言葉です。
自分がよく振られがちな役であったりナレーションだったりっていう得意な分野めいたものが声優には皆あると思うのですが、この分野みたいな区分けの中で面白い役者ってのは群を抜いていたり変わっていたり斬新であったり良かったりなんだりかんだりするのでしょう。
得意な分野って場所に区分けされると何となくの僕のイメージですが、ソコに区分けされた人達の中での正解めいた表現があって、皆なんとなくその正解めいた表現に落ち着きがちな感じがあります。
その得意分野の正解めいた表現の中でもどこかしらで異質であったりハッとさせられるような着眼点で攻めてくるような役者に、僕の場合ですが “面白い役者だなぁ” と感じるような事が多いです。
ただこれは僕がそう思う面白い役者であって、他の人が皆そうだってわけじゃないんですよね。人それぞれにポイントは違うんですよね。
僕から見て普通に正解っぽい表現をする役者が面白いって思う人も当然いるんですよ。言ってしまえば僕にとってはつまらないような表現が好きな人も。
今の流行りであったり、見る人聴く人のナニがソレによって “面白い役者” ってのは色々あるんでしょうから、僕ら演者側から “面白い” を決めつける事は不可能です。“面白い” を判断するのは視聴者です。
自分が信じている “面白い” をどれだけの人が認めてくれるか。認めさせるか。
でも、表現を仕事としているので自分の “面白い” だけを押し付けていてはお金は稼げません。演出の意図に合わない面白さでは意味が無いのであります。自分のソレが通用しないのであれば演出側のソレに応える面白さを提供する必要が出てきます。つまり、色んなフィルターを通して皆さんのお耳に僕の声が届くわけですが、自分の純粋な “面白い” がフィルターを通さずに届けられた時は、してやったりみたいな気分になったりします。
演出に助けられて出来上がる “面白い” もありますが、演者としては自分100%の “面白い” を演出というフィルターを通さずにお届けしたいナニがソレなのであります。そうですエゴの塊です!すんません!
しかしー
“面白い” を追求し過ぎて “誰にも理解されないような面白い” にならないようには気をつけようと思いますです。