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姉の運転する車で、私たちは病院を出た。
お腹いっぱい美味しいものを食べたかった私は、早速大好きなイタリアンへ。
食欲があるのは何よりと、母も姉も喜んでくれた。
しかし退院したとは言え、手術が終わってからまだ10日も経っていない。
右腕の稼動範囲はそう広くはなかった。
利き腕が動きにくいとなると、生活・家事すべてに影響した。
洗濯物を干そうにも、濡れたタオルや衣服がこんなにも重たいとは思わなかった。
物干し竿にハンガーを引っ掛けることままならなかった。
また、もっとも髪はないが、シャンプーするのに両腕を上げようとしても、
なにかこう、右腕だけはスムーズに動かなかった。
そのため少しの間、慣れるまでは実家にいることにした。
胸を切るだけでもそうなるというのに、私は腋下リンパ腺への転移があり、
そこも切除したため、どうしても肩から上へ腕をあげることが痛くて怖かった。
『なんで手術しなきゃいけなかったんだろう』
と、腕を上げるそのたびに考えてしまった。
なぜならば、抗がん剤治療中は体力はきつくても、
腕が動きにくかったり、重い荷物を右腕で持てないことはなかったからだ。
さらにはお風呂に入る前に、脱衣所に大きな鏡があり、その鏡を見る度に、
右胸の上部にある10センチほどの赤いミミズばれのような手術痕は目立つし、
右腋にも同じように10センチ程度、縦に赤く傷が見える。
傷痕は何年か経てば目立たなくなるかもしれないが、右胸の形は変わらない。
胸の上部にがん細胞があったために、下は何もいじらず上部を切除し、
そしてそこを摘むように手術が施されたために、
小さくなったのは勿論のこと、よく言えば垂れてはいないが、
左とは乳首の高さが異なっていた。
ドラえもんのスモールライトのように、ただ小さくなるのかと、勝手に思っていたのだが、
『片違い』という現実にショックを受けた。
二、三日すると、右の腋の下が腫れてきた。
リンパ液が溜まってきたのだった。
術後間もないので、締め付けないようにブラジャーは極力着けずにいたのだが、
場所でいうとブラジャーをしていればそのうえに乗っかるようなかたち。
腋のリンパ腺を切除したため、リンパの流れが滞ってしまうためだった。
これは自分ではどうにも出来ず、注射器のようなもので抜いてもらわなければならなかった。
寒い12月、実家から病院までは一時間半ほどかかるし、
顔を背けるほど注射が大嫌いな私ではあったが、行かざるをえなかった。
手術で切除した腫瘍の病理検査が出るまでは、通院しなくてもよいと思っていたのに、
これが週に2度、3週間程続いた。
・・・次は、病理検査〜その後をお伝えします・・・