退院してからちょうど3週間後の、2008年の暮れ、12月26日。
病理検査の結果が出ると言う事で退院後初めての診察があった。
手術によって取り除いたガン細胞を詳しく検査した結果を言い渡されるということだ。
行きたくなかった。
何を言われるのか、怖かった。
もうちゃんと取ったのだから大丈夫よ!と励ましてくれる母と一緒に病院へ向かった。
そこで私は衝撃的な事実を耳にする。
抗がん剤が、あまり効いていなかった、というのだ。
え!?
どういうこと?
乳がんがわかったときからしたら、ガン細胞自体小さくなったような気がしていたし、
それに、わきの下のほうにあるコリコリしたしこりも、
手術する前には触れても感じなくなっていたのに。
目が泳いでしまっている私に、医師は取り除いたガン細胞を見るかと質問してきた。
わけもわからず私は、ハイと返事をし、その写真を見た。
それは、腫瘍を輪切りにしたものだった。
なにがなんだかわからなかった。
こんなものが胸にできていたのか。
なんの感情もわいてこなかった。
医師が言うには、抗がん剤が効いているレベルを3段階評価をするとしたら
私は最低レベルだと言う。
よく言えば、効いていないわけではないけれど、くらいだったとのこと。
正常な他の細胞には攻撃を仕掛け続けたのに、
肝心なガン細胞にはあまり届いてくれていなかったというわけだった。
じゃぁいったい、何のために・・・
髪も抜け、手足もしびれ、爪もガタガタになり、常に顔色も悪くなるほど、
計16回も投与したのに。
きっと私がそう言いたかったというのを医師は察したのか、
全身に検査でも見つからないくらいのガン細胞があったとした場合の、
それをたたくための治療だから、必要な治療だったし、
そのおかげで、他には転移はしていないと説明してくれた。
もう1クールやるとか、ないですよね?
私は思わず聞いていた。
そんなことしたら身体が壊れてしまう。
抗がん剤はもうおしまいで、年明けからは放射線治療がはじまり、
その前に、今日から5年間、ホルモン治療の薬を服用して再発を防ぐ、と。
もうとっくに壊れちゃってるよ、そんな気持ちだった。
次回の放射線科の予約を年明けに入れてもらい、母と二人、家へ帰った。
やっぱり手術が終わったって、一安心なんかじゃないんだと落ち込む私を
母が一生懸命励ましてくれながら。
なんともスッキリしないまま、私の2008年は終わった。
乳がんとわかったのが3月。
1年を思い起こしても、それまでの1月2月ことなど、記憶に残っていない。
私の人生にとって、忘れられない1年となったことは間違いなかった。
・・・次は、放射線治療開始〜その後をお伝えします・・・