« 帰り道のはじまり. | Home | 天ぷらを作ろう! »
熊本地震から3週間になりますが、現地を中心にその被害の深刻さは増しているように感じます。
私が住んでいる福岡でも、熊本地震の際は大きく揺れ、2度にわたる激震の余波に見舞われました。
私自身は何も被害を受けることはありませんでしたが、私の仕事仲間や友人知人の中には、被災地と関わり合いの強い人が何人もいて、その被害状況を聞く度に、今回の地震のすさまじさと、先行きの不安を覚えます。
そんな中で、現地では現在もなお避難生活をしている人が大勢おられます。
そして、その中には、LGBT当事者も含まれています。
避難生活とは、非常時でのことですから、当然に不便で不快な側面があるでしょう。
まずは、生命の安全を最優先させなければなりません。
しかし、避難生活が長引いてくると、避難生活自体が一時的なものとはいえ、その時の生活自体になるわけで、そこには、個人個人の生活スタイルや要求事項、それらの対立など、様々な問題が生じます。
よく報道されるようになりましたが、プライバシーの問題は、当事者にとっては真剣かつ深刻な問題です。
LGBT当事者の場合も、このプライバシーに係る点で、多くの問題が生じます。
具体的には、
・同性パートナーとひっそりと同居していたが、それがバレてしまいそう。
・トランスジェンダーがトイレや浴場の使用を躊躇う出来事が起こる。
・支援スタッフに自分のセクシュアリティを知ってもらった上で対応してもらうべきか悩む。
ということが挙げられます。
自宅を失うことで、これまで自宅内で保たれていたプライバシーが、避難所というプライバシーが限定的な場所で公にさらされることにより生じるものです。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」という意見が多いと思いますが、当事者にとっては深刻な問題です。
実際にどの程度の当事者が、避難所での生活を続けているのか正確な数字はわかりませんが、数日間避難生活をした後に、福岡の知人を頼って移ってきたトランスジェンダー当事者の方に話を聞くと、「長期間の避難は難しい状況だった。自分の風体が、集団生活では異質過ぎて、常に見世物になっているような被害意識があり、支援自体はとても良い対応をしてもらったが、自分が気を使わなければならないような場面が多すぎて、疲れてしまった」とのことでした。
突然の災害、家を失ったり離れたりしなければならない緊迫感と喪失感、先行きの不安、長引く避難生活での心身両面の疲労、そうした極限の状態でのマイノリティへの配慮は、どうしても後回しにされてしまいがちです。
LGBTだからといって特別な災害対策があるとも思えません。
『LGBTの方は、この避難所へ集まって下さい』というアナウンスが流れたなら、それは避難所ではなく、収容所といっても過言ではないでしょう。間違った対応です。
どんな人であっても、安心して避難できる避難所の在り方を追求することが大切であるはずです。
日本は、いつどこで大地震が起きてもおかしくない国だそうです。
だとするならば、この問題は、検証と研究を重ねていかなければなりません。
命の次に守りたいものは、人それぞれだということも、まずは認識すべきです。