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今日のオペラレッスンの録音をきいていて、親愛なるマエストロが
アドバイスと共に「ほんまにえぇ声やなぁ」とほめてくださったので
なぜか宮澤賢治の『告別』を思い出し
今、ひとりリサイタルしていました。
「おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに満ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるはせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう」
「けれどおいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ」
「そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ」
「おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ」
「おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ」
「多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ」
当時、大学4年生21歳で歌ったときは、
本当に自分がマジに自分の歌声に向き合う生活をしているとは…
思って…いたり…いなかったりだったので
今、詩(手紙)を読みなおして、歌いなおして
とっても沁みこみます。
「お前くらいの人間は一万人中五人はいる!
でも、その才能は自分でなくしていくものだ。
自分次第でとどまらせることができる!」
今歌うとポンポン軽く歌えるのに…
ソロオブリガードで余裕のなかったハイCだって、
「どうしてこんな音で唸ってたんだろう」と思うくらい。
人間の声っていくらでも改造されていくんだなぁって。
私は歌の「石原の草を刈」ってます。