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2015/12/28

m306

お疲れ様でした、と忘年会で赤ら顔の社長が一本締めをしていたのは先週の金曜日。これで仕事納め……となれば万々歳だったのだが、この土日で急に出勤を求められた。年始の営業前にどうしても納品してほしい品があると担当顧客から泣きつかれたのだ。帰省する予定もなく家族サービスをする必要もない身としては引き受けざるを得ない。
半泣きの先方担当者からの電話に無事在庫分から必要な点数を捻出できること、納品は明日行う旨を伝えると、明らかにほっとしたような声になった。

どこの業界でもそうだろうが、年末年始は忙しいものだ。ただでさえ休みが多くなる上に、それに伴って前倒しの納品が増え、検品や回収・廃棄の確認人員を確保するのが難しくなる。うちのような小さい会社ではなおさらで、一週間以上の長期休暇を確保するために先週はみんな必死になって働いていた。私も、もう明日の納品を見届ければ年内の仕事は終わりになる。本当は今日終えてしまいたかったが、運送会社も人手が足らないということらしい。

パソコンの電源を落とし、コートを手にして立ち上がる。戸締りをして外へ出ると、強い北風が頬をなでた。

師走の街中は人出が多く、どこか賑やかなムードに包まれている。小さな子を連れた家族やカップル、高校生の集団。会社がある界隈ではあまり見ないが、少し歩くと繁華街にぶつかる。そこからの帰りなのだろう、みんななんとなく楽しそうに見えて羨ましくなった。

私も何か自分に買って帰ろうか。せっかくの自由時間だ。休日に会社の近くにわざわざ来ることはないから気付かなかったが、この辺りにもちょっとした店がたくさんある。幸い、給料も出たばかりで財布の中にも余裕はある。
弾んだ気持ちでウィンドウを見て回り、その中の一軒の店先で足を止めた。普段はシャッターが下りているので何の店か分からなかったが、中からはふくよかなコーヒーのいい香りがする。

カウベルの音に迎えられた店内は、やはり芳醇な豆の匂いに満ちていた。豆の量り売りをしている店らしく、コスタリカやコロンビアといった定番品に混じって、ロブスタなど見慣れないラベルもある。
しげしげと眺めていると、奥から上品な中年男性が出てきていろいろと説明してくれた。産地によってかなり香りや味に差があることや、ブレンドの仕方などあれこれ教えてくれる。普段だったら聞き流すのだが、今日は時間に余裕があることもあり、気が付くと結構な時間を過ごしていた。

「普段、コーヒーはあまりお飲みになりませんか?」
「いえ、……お恥ずかしいんですが、インスタントばかりで。ちゃんとしたのは、あまり」
「お忙しい方は皆そうですよ。うちのお客様もお休みのときくらいだと聞きますから」

せっかくですから、試飲してみましょうか。店主は私に店内の小さなスツールに座って待つように告げて奥へ引っ込んだ。これも縁だし、自分へのご褒美はここで買おうか。高価と言えば高価な買い物だが、ゆっくりコーヒーを淹れて飲む時間を作るというのもいいかもしれない。

そんなことを考えていたら、奥から豊かな香りが漂ってきた。ますます長居をしてしまいそうだ。相変わらず人々が足早に歩いているのを扉越しに眺めながら、私は久しぶりにゆったりした時間を過ごしていた。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2015/12/28 04:25 | momou | No Comments