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テニスのグランドスラム4大大会の1つ
ウインブルドンが開幕しました。
まず私がメントレをしている杉田祐一選手が
予選を勝ち抜き本選出場を果たしました。
おめでとう。
本選では1回戦で敗れてしまいましたが、
成長を感じます。
さて、みなさん注目の錦織圭選手。
1回戦はフルセットで勝利しましたが、
残念ながら、その後は
怪我のために棄権しました。
日本中が期待していただけに
残念な結果に終わりました。
スポーツで結果を出すには
心技体が揃ってこそだということが
改めてわかったような気がします。
世界ナンバー1になるには
それにふさわしい心と体と技が必要ですし、
1回戦突破なら
それにふさわしい心技体が必要なのです。
常に結果は自分自身の心技体の総合力で
やってくるのが世の中なのです。
そして、もしかすると
その一番低いレベルでしか
結果は出ないのではないかとわたしは感じます。
錦織選手のふくらはぎは
昨年のUSオープンの前の
足の裏の膿疱とはわけが違います。
膿疱はオペすれば完治する方向に向かいますが、
ふくらはぎは使えば使うほど完治しにくくなるはずです。
メンタルの面も
マスコミが錦織選手に囚われの状況を
日々もたらしていたように思います。
芝の得意不得意、怪我の状態、
そしてベスト8に入れば
グランドスラム大会すべてベスト8だとか
松岡修造さん以来だとか・・・。
錦織選手はメンタル的にも優れていて
比較的自然体でフローな感じの選手ですが、
囚われの要素が高くなるほど、
認知脳の暴走は起こってしまうのは致し方ありません。
いつもよりも少し無理をしているなと感じるコメントは
「大丈夫です!」という発言。
“大丈夫”はフローな言葉の1つですが、
1つ間違えると無理やりポジティブにとらえようと
しているときに使う言葉にもなりがちです。
「それでできることを戦うよう心がけます」とか、
「まだ完全じゃないけどそれを受け止めて
できるだけのことを今はしています」とかの方が
自然体を感じるような気がします。
不備をいうことをわたしたちは極力控え
ダメだという呪縛がありますが、
臭いモノに蓋をしても
結局はそこからは逃れられないのです。
事実、それはそこにあるからです。
それを受け止め、
その不備とともにするべきことを明確にして
ただただ実行していくしかないのです。
不安があるのに「大丈夫」と言ってしまう方が
不安は内在し密かに心の中で暴れてしまうのが人間です。
不安があるなら「不安が少しあります」と
言った方がいいのです。
「今、自分は不安なんだ」と感情に気づいた方が
感情から解放され自分の力は出るのです。
ジョコビッチ選手が「生まれ変わる食事」の書籍の中で
自分の感情に気づき自然体でいることの
重要性を述べていますが
ジョコビッチ選手は
やはり世界ランキングナンバー1に
ふさわしい選手なのだと感じます。
そのジョコビッチ選手ですら、
心技体をいつも磨いていないと維持できないです。
自分を磨く最高のツールこそ
スポーツだと改めて感じさせられます。
これからも錦織選手を心から応援しています。