« 戴冠式間近 | Home | 光の当たるべきものは. »
広告人・佐藤達郎氏の場合
-動き続ける。世界も、人も。
——————————————————————————————————
真ん中を退き、参謀に回った佐藤さんが、よく言っていたという言葉がある。
「僕が理屈を考えるから、きみはとにかくおもしろいものを書け。」
今、佐藤さんが教えている学生にはグラフィックデザイナーの卵が多い。
「学生の自由な発想は強い。美大生はやっぱりセンスも高いし、
すごくひねってるクリエイティブでもすぐ理解する。」
随分と時代は変わったが、逆に
「80年代は、今思えば本当につまらなかった」という。
「枠の中で技を競う。新しいチャレンジもしにくい。テレビCM全盛期の頃、
広告でスマホを宇宙に飛ばそうなんて、誰も考えなかったじゃない。」
※筆者追記 Samsung GALAXY S II「Space Balloon プロジェクト」
「たしかにものすごく動いてるけれど、大騒ぎする必要はない。
もともと、伝統芸能をやりたいような人が来るところじゃない。
20世紀の後半が変わらなさ過ぎた。10年変化のない中にいると
もう変わらないって思ってしまう。本当に危険なのはそのこと。
歴史を振り返っても、それまで命かけて新聞広告作っていたのが、
50年前にいきなりテレビが出てきた。
それで、映画や映像出身の人が業界に入ってきたりして、俄然面白くなった。」
佐藤さん本人が、気づいているのかいないのかは、わからない。
しかし、佐藤さんが「広告の話」をしているとき、それはいつもかならず
「広告の仕事をしている“人”」の話をするのだった。
登場する後輩たちの名前につく形容詞はだいたい、「スーパー優秀」。
大学教授になった、というと、どうしても現役引退を想像するが、
今も含めて、クリエイティブから離れたと思ったことはないという。
「今も、論文を書くとき、タイトルからしてコピーワークしている。
それで研究費も決まったりするから、真剣ですよ。
相手がどう思うか、どう言えば伝わるのか。インサイトも分析してね」
結果は、上々だそうだ。さすがコピーライター、と思うが
佐藤さんは、しばらく前から「いちコピーライター」の枠の中にはいない。
「コピーだけやってて、成功してたら、谷山雅計になってるよ」
そうしたら、組織の活性化も美大生の講師もやっていないだろう。
「でも、コピーはいまでも好き。
世の中を騒がせるような一言じゃなくても、生きてて言葉を抽出することって
すごく大変で、すごく大事じゃない。」
“職業”。
それは社会の中で分担する“役割”ではなく、人の生き方そのものであるようだった。
了
佐藤達郎(さとう・たつろう)
株式会社アサツー ディ・ケイ、博報堂DYメディアパートナーズ社を経て、2011年4月より多摩美術大学教授。専門は、広告論/マーケティング論/メディア論。コミュニケーション・ラボ代表、コンサルタント、クリエイティブ・ディレクター。
2004年、カンヌ国際広告祭フィルム部門日本代表審査員。著書に『教えて! カンヌ国際広告祭 広告というカタチを辞めた広告たち』他多数。
最新著書『「これからの広告」の教科書』2015年6月10日刊。
——————————————————————————————————
Special Thanks to MR T.SATO