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2015/03/09

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チャンネルを回したら、“あの日”を扱った特番が繰り返し繰り返しあの時のことを伝えていた。
写真で、動画で、証言者の声で。
居たたまれなくてテレビを消して、窓の外を見た。遠くに見える公園の桜は、まだ咲かない。

あれから、もうすぐ4年になる。

わたしはあの町を追われ、別な街に住んでいる。生まれ育った町は小さくて、それこそ近所の誰もが顔見知りで、こちらが大人になっても名前にちゃん付けで呼ばれる、そんなところだった。
スーパーは二つ、ガソリンスタンドがひとつ。ビデオのレンタルショップにわざわざ車を出して出かけるのがデートとして成立するようなところで、何もないのがいいところ、っていうのが同窓会では定番のネタだった。

その町に今、立ち入ることはできない。
地図のうえでは確かに存在しているのに、入ることは出来ない。――まだ、出来ない。

時々、思い出す。
あの四つ角にあったお店は何屋さんだったっけ。豆腐屋、それとも洋品店?

4年もたてば、記憶はどんどんあいまいになっていく。あの日避難した公民館の床の冷たさ、おにぎりに海苔がべったりくっついていたことは鮮明に覚えているのに、学校への通学路でよく吠えていた犬の名前やよく出た変質者のおじさんの顔や雑貨屋の名前をもう思い出せなくなっている。

忘れるな、とテレビは言う。あの震災を風化させてはなりません。悲劇を繰り返してはなりません。
南三陸の目覚ましい復興を報道し、立ち直っていく人々の暮らしを伝え、物産展での賑わいを写しだし、人々に訴え続けている。忘れてはなりません。記憶していなければなりません。

わたしの町は、そのような番組には出てこない。小さい町だから。そして、いまだに原発の影響を色濃く受けている地域だから。かすかな被害者意識を持って、既に別な街に住民票も写し仕事も得たわたしは、そのような報道をあまり見ないことにしている。メディアのせいだけではない。忘れることに決めたからだ。

あの時の恐怖も、そのあと晒された視線のことも、忘れてしまいたかったから。

落ち着いたこの街で、わたしは自分の出身地を話したことはない。
ここはわたしの町ではないけれど、最初からずっとここにいました、って顔で過ごしている。自分から振らなければ“あの日”の話は出てこない。だから少しずつ忘れていく。
なかったことにはできないけれど、おぼえているには、抱えていくには、自分にとっては大きすぎることだったから。

あの町にはいたるところに桜があった。近所に桜で有名な町があって、そこに比べたらささやかに過ぎるので観光地にもならない、小さな並木がたくさんあった。その桜を、わたしはかすかに楽しみにしていた。どの木が一番最初に咲くのかも知っていたし、どこの土手から見るのがいいかも知っていた。
わたしだけじゃなくて、あの町ではみんなが花見の時期はどこどなくうきうきしていた。

あのさくらは、もう蕾になっただろうか。
この街の桜は、まだ咲かない。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
*桜の花言葉は「純潔、優美」

2015/03/09 03:06 | momou | No Comments