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2014/12/29

皆さん、おはようございます。

もういくつ寝ると・・でございますね。
年末に向けていくつものテレビドラマが最終回となりましたが、
最近観ていたのが「信長協奏曲」です。

とりあえずまだ連載の終わっていない、
つまり結末の出ていないマンガが原作ですし、
来年には映画化されるとのことで、
放送の最終回に批判が寄せられているドラマでもあるようです。
映画に持って行くためのドラマかよ!という批判もある最終回ですが、
それはともかくとして、私は結構気に入って観ていました。

何が良いかというと、違った角度から歴史を捉える点が、です。
戦国時代の数人が、もし現代からのタイムトラベラーだったら、
という角度で描かれているわけですが、
原作ともまた違ったドラマでのキャラクターと、
起こることとの絡みあいが大変面白いドラマでした。

およそ歴史をドラマにすると、
オーソドックスには、いわゆる定説というやつを
映像化してドラマに仕立て上げることになります。
つまり、その時代の人物が、それらしいキャラクターで、
ということになるわけですが、
このドラマでは数人の現代人が登場することで、
なぜそういう言動をしたのか、という背景に、
当時のことだけではない要素が加わります。

「殺し合いをやめたいから」などというのは、
現代人の、それも一般的な市民の感覚であり、
戦国時代の侍の感覚ではありません。
やられたらやり返す、倍返しだ!
というのが当時の一般的な感覚です。
もちろん、やるのやらないの、というのは命のやりとりです。

それが、確実に一歩成長した、と思わせる良いシーンが、
最終回には用意されていました。
「友を殺しに行く」と言って出てきた小谷城責め。
負けが確定した浅井の城へ、長政を救いに行きますが、
長政はとうとう腹を切り、サブローに介錯を依頼します。
サブローは躊躇せず、介錯をしますが、
劇中でサブローが直接殺生をした最初でしょう。
「戦国時代に戦国武将として生き、天下を目指すこと」
ということがどういうことなのか、
完全に体で理解して、次のステップに歩む瞬間だったと思います。

このようなところが、演出の妙というものです。
原作にこのような背景の描写があるのかないのか知りませんが、
作者本来の意図とは別に、作者が意図していないにも関わらず、
作品から湧き出してくるものを掬い取り、反映させるのも、
演出家としての役割であると考えています。
我々がテレビから受けっとった作品「信長協奏曲」は
二重の演出が施されています。

まずは、本来の原作者である、歴史上の本人たち、
そこにマンガ原作者の演出が施されており、
その上で、ドラマの脚本家や監督の演出が施されています。
本来の歴史を追いかけるのも良いのですが、
逆に、こうした思考実験的な角度から、
歴史というものを考え、未来に生かすことも、
これまた大事なことではないかと思うのです。

オペラの演出も、こういう作業の積み重ねなのです。
意味もなく雑多なアイデアをぶちまけるわけではありません。
出てくる時は雑多なアイデアも、
検討を重ねるうちに淘汰されていくものもあり、
逆に洗練されて採用されるものもあり、
最終的には系統だてて作品と一体化するわけです。

そういうところも見に来ていただけたら、と思います。
もちろん、作業の過程ばかりでなく、
結果出来上がった作品の発するメッセージを!

2014/12/29 01:01 | bonchi | No Comments