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2014/12/08

m283

宝くじを買ったのはほんのついでだった。会社の近くによく当たるチャンスセンターがあって、同僚数人と面白半分で並んだのだ。どうせ当たらないと言いながら、連番で10枚買った。どうせ飲み会1回分だ。300円分当たったんだと酒の席の話のネタになればいい。その程度の気持ちで手に入れた紙だったから、無造作に財布に突っ込んだまましばらくすぎてしまっていた。

だからそのなかの一枚が前後賞と言われる大きな額に化けたときも、リアリティのない薄っぺらな芝居の中に入りこんでしまったような気がして、全然現実味が沸かなかった。

 

日本橋の大きな銀行で換金の手続きをした一週間後、わたしは会社に辞表を出した。

ちょうど潮時でもあった。唯一わたしより年上だった女子社員は去年退社していたし、入れ替わりの激しい不動産会社の中でも古株になりつつあった。若手の女の子からはお局的な扱いを受けていたし、男性社員の中にはお茶くみをわたしにさせることを躊躇するような子もいた。総合職ならまだしも、単なる事務員ではどうせこの先が保障されるわけでもない。職なしの独身であることを案じた上司は一応引き留めの言葉を掛けてくれたけれども、一度断ったら無理強いはせず、かえってほっとしたような顔を見せていた。

引継ぎやなにかを済ませて身軽になってしまうと、東京にいる必然性もなくなった。というか、働くことの必然すら消えてしまった。わたしが今まで働いて稼いできた額をすべて合わせても当選額には満たなかったし、このお金があれば贅沢しなければ一生暮らしていくこともできるように思った。付き合いのある同業の会社を慎重に外して、郊外のマンションを店子付きでいくつか買った。あとのお金はどう使えばいいだろう、そんな今まで考えたこともないことをいくつもいくつも思い浮かべながら、とりあえずのつもりで旅に出た。

 

旅は刺激的で、でも退屈だった。

知らない場所に行くのは楽しい。でも、知らない場所は所詮他人の場所だった。未知の情報を得るのは楽しい。でも、それはいずれ既知になる。高級なレストランの食事も一人ではなんとなく気ふさぎだし、リゾートホテルは要するに田舎にあって、ひと月も飛び歩いていたらすっかりその状態に慣れてしまった。なるほど人は何にでも慣れるものなのだと思った。お金はちっとも減らず、というか減ってはいるのだけれど現実感がちっともなくて、どうしようかと思いながら彷徨うように街から街へ移っていって、飛行機に乗り海を渡り陸路を線路で走り、気が付いたらわたしはお金がある状態にすっかり慣れて、そして疲れてもいることに気がついた。

――帰ろうかな。

でも、とりあえず残したままの東京のアパートに帰りたいわけじゃない。実家は両親が死んだときに更地にして売ってしまった。親しい付き合いをしている親戚も少ない。帰る場所は、わたしは、どこに帰りたいのだろう。

帰る場所が欲しい。帰ってきたと落ち着いて思える家が欲しい。

宝くじの使い道は、どうやらここに費やすことになるのだろうと思いながら手持ちの地図を開いた。世界地図。目を閉じて一番最初に目に入った街に、とりあえず行ってみようと思った。
はじめて夢を買ったような気がした。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2014/12/08 08:52 | momou | No Comments