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皆さん、おはようございます。
8月8日に上演したアヴェンヌでのコジ、
ブルーレイでもらってきまして、
まず水野さんに貸して、
次にうちでも見てみました。
とはいえ、うちにブルーレイプレイヤーはなく、
ROMのブルーレイドライブがあるので、
それにフリーのプレイヤーソフトをダウンロードして、
どうにか見ることができたわけです。
で、演出面についての反省点は主に1幕です。
2幕は正直、かなり面白かった。
というか、観客として面白いと思えました。
ただ、1幕がちょっと退屈した。
1幕というのは、その大半がこの話への導入部です。
要点は、男3人が女性の貞操について議論となり、
賭けをしようということになる。
若者2人が命を懸けた戦線に出るといって出かけていき、
変装して戻ってきて口説き始める。
これだけなのですが、これだけであると同時に、
これ以外のことはする余地がない、ということでもあります。
視覚的な要素は演出によりけりですが、
とりあえずこれらはやらないと話が始まらないので、
誰がやっても大筋に変化はありません。
話が動き始めるのは変装して戻ってきたところからです。
しかも、本格始動は1幕フィナーレからといってもいいでしょう。
私の自己反省はこの部分の埋め方、見せ方にあります。
2幕は面白かったわけですから、
相当なことが起こります。
その伏線というか、2幕に繋がることを、
もう少し作り込んで1幕で提示しておくべき、と思ったのが、
1幕についての感想でした。
また、1幕の舞台について思ったのが、
椅子が邪魔だ、ということです。
1幕は割と恒常的に大人数が舞台上にいます。
その舞台というのは、この場合アヴェンヌのフロアです。
一つお断りしておかねばならないのは、
この演出プランはもともと、ほわっと用に作ったものだ、
ということです。
つまり、パイプ椅子を5脚というのは、ほわっと用なのです。
これが、アヴェンヌでも再演することになっても、
そのままになっていたわけですが、
この椅子がアヴェンヌではかなり障害物になっているようです。
ほわっとは、お客さんの目の前に、舞台空間が広がっています。
ですから、そこに収まるものは、よほどのことがなければ、
まあ障害物になることはありません。
ところがアヴェンヌは、舞台奥に出入り口はなく、
上手側をグランドピアノに、下手側をお客に囲まれており、
出入りは舞台奥とは反対側、つまりお客の中を通って、
後ろに退場するタイプの、いわば縦長舞台です。
ここに5脚の椅子が舞い飛ぶのはかなり狭さを覚えます。
一応5脚の椅子をかためておくことは必要ですが、
そこから引っ張り出して使用する頻度をもう少し抑える必要があります。
ちなみに、これが独立の舞台、それも客席が100席を超えるようなら、
椅子5脚ではおそらく足りなくなり、
ソファ、あるいはソファに見せかけたものを置く必要があるでしょう。
理想をいえば、もし今のセッティングを踏襲して、
新たに家具を買うことはせずに上演するとしたら、
ほわっとの約1.5倍の演技スペースが理想的でしょう。
そうすれば、別れのシーンなどで、もう少し大胆な演技をつけられます。
お寺や教会なども場所として適当かもしれません。
さて、マイナスポイントもさることながら、
大筋のプロットについては、大変満足というか、
自信を持つことが出来ました。
コンセプトそのものは、メトでもスカラ座でも、
はたまた天国でも地獄でも、持って行くことができます。
出来たらいずれあの世で、モーツァルト指揮、ぼんち演出、
という上演が出来たら嬉しいな、と思います。
ええ、モーツァルト本人にも自信持って提供できます。
タイムマシンに乗って1790年のウィーンに行ってもいいですが、
当時は女性が靴を脱いだだけで、えらいスキャンダル、
今でいえば、女性が大開脚して性器を見せつけたというくらいの、
大騒ぎになってしまうような時代でしたから、
2幕でドラベッラが裸にシーツを巻き付けた姿で出てくるなど、
間違いなく私は逮捕されると思いますね。
でも、ダ・ポンテとモーツァルトは大喜びすると思うw
というようなわけで、
反省半分、自慢半分の一人反省会でした。
はい、またやりたいですから、
場所の提供、大歓迎です。