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こんばんは。最近すっかり寒くなってしまって、ドレスにコートを着て客引きをしている女の子たちの姿を見るとそれだけで胸が熱くなってしまいます^^;
(ホントは客引きダメなんですけどね…お店の前で立ってるだけならセーフなんです)
ところで、皆様は大島薫さんというAV女優さんをご存知でしょうか?
知らない方、まずはこの動画をご覧ください。(アダルトな画面には飛ばないのでご安心を!)
興味のある方に参考:Neverまとめ“Twitterで話題! 男の娘の大島薫がかわい過ぎる”
この方、修正の入れようのない動画を見てても普通に女の子、というか可愛い女の子にしか見えませんが、れっきとした男性です。手術はしていない、ホルモン投与も受けていないということですから、いわゆるニューハーフでもありません。
今、この大島さんのように女装する男性が増えています。増えている、というか、女装していることをカミングアウトする男性が(すくなくともわたしの周囲では)増えてきました。
気付けば大きな繁華街には女装カフェや女装バーが一つか二つはあるという状況で、少なくとも日本ではこういう男性を「男の娘」と呼んで商業的にも一ジャンルとして成立するくらいの感じになってるわけです。
(ググったら本当にたくさん出てきてびっくりしました…!)
もちろん、その容姿や体型は男性のものですし、正直大島さんほどビジュアルの良い男の娘は少ないわけですが、でもいることはいる。わたしよりもはるかに可愛らしい容姿の男の娘には、女性モデルさんや女優さんに捧げるのに似た憧れを感じます。
ところで、わたしたち女性は小さなころから望むと望まないとに関わらず容姿を査定する視線にとらわれてきました。
美人はブスより得をします。これはもう歴然とした事実です。恋愛の対象としてだけではなく、仕事だって同程度の能力なら美人とブスは美人のほうが選ばれる。
選ぶのは主に男性です。
男性が選ぶ主体で、女性は殆どの場合、選ばれる側でした。一定年齢を超えて未婚の男性は揶揄されませんが、女性はされます。自虐的に女性が「選ばれない」ことを口にすることもよくあることです。
だからこそ女性はメイクの腕を磨いたり、膨大な量のファッション誌を読んで外面を飾るすべを身に着けてきた。
勝手に査定されることを拒否できないのなら、受動的に選ばれないためには選ぶことができる立場に行くしかその視線から逃れる方法がないからです。
わたし自身、「選ばれたい」という欲求を持ってキャバクラに勤める道を選びました。
そこで選ばれる女性の見本や、選べる女性のお手本をたくさん見てきて、ある程度、自分というものを客観視できるようになりました。このレベルの男性だったらわたしは選べる。このレベルからは選ばれる。いやらしい言い方ですが、キャバクラや風俗はそのレベル感を確かめるための修行のような場だったのでした。
翻って、男の娘。
わたしが大島さんを好きだと思うのは、容姿も含めて女性と同じ立ち位置に立とうとしている感じがするからです。(もちろんもともとが男性だということに過剰なファンタジーが入っている可能性はあるにしろ)AV“女”優を名乗り、男性に選ばれる側に入ってきた。
彼、というか彼女の性的な対象は男女両方だそうですが、これはものすごく画期的なことだと思うのです。
選ばれることを彼女も望み、多くの女優さんに混ざって、同じフィールドで仕事をしている。
そんなことが起こり得るなんて、わたしには想像もできなかったんです。
男性は今まで選ぶ性でした。
でも、もしかしたら、そこが変わるかもしれない。
ホストクラブは女性が選ぶ場でしたが、それはあくまでも一部の人の楽しみでした。それだって、キャバクラに行く男性に比べたらすごく少ないし、なんとなく崩れた趣味、みたいに言われています。
だから、これってすごいことなんです。
よくよく男の娘関連の本を読んだりしてみると単純にコスプレしたいとか、女の子の服か好きだとか、性倒錯の一環でやっているとか、いろんな動機の方がいるようです。
でも、きっかけは何でもいい。
選ばれること、男性も女性と同じように望むと望まないとにかかわらず美醜で査定される時代が来て初めて、女性はこの厳しいビジュアル査定から解放される。
大島さんを見ていると、わたしはそんな気がするのです。