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皆さん、おはようございます。
越境という言葉を何度もお聞きになったことがおありでしょう。
一番使うのは、越境入学という言葉ですか。
小学校などで、本来の校区外の公立校に入学することです。
ようは、本来あるべき境界線を越えて何かすることですね。
私も最近、越境をしてしまったように思います。
先日某所で、椿姫の「乾杯の歌」を歌う機会がありました。
テノールとして当然の仕事、と思われるでしょうが、
私の感覚からすれば、越境もいいところです。
ヴェルディ嫌いを自称する人間のすることではありません。
もちろん、業務命令をこなしたまでのことです。
と、なると、私は私に出来る最大限の方法でやるしかありません。
それは、楽譜に書いてあることはすべて実現し、
楽譜にないことは一切しない、ということ。
ロマン派音楽に向かう時の鉄則です。
が、それはピリオド・アプローチの精神があればこその話で、
みんながヴェルディと思っているところのもの、
あるいはプッチーニと思っているところのもの、
というフィールドにおいてはそうではないようです。
ということは、私は以下のことを覚悟する必要に迫られました。
こんな奴に乾杯など歌わせるものではない、
という理解、認識を持たれてしまうことです。
おそらくヴェルディには聞こえないでしょう。
そもそも、私はヴェルディに向いた声とは、
お世辞にもいえない古典、バロック向きの声の持ち主です。
その上、方法論はそっち方面の最右翼と言ってよろしい。
こうなったら、違和感を持たせてしまうことを楽しむほかない。(笑)
どういうわけか一部の仲間には好評だったようですが、
それは素直に喜んでもいますが、
正直なところ、もうゴメンだ、と感じます。
ことにトラヴィアータは・・・。
なぜって、私はこの作品の指揮者・演出家なのですから、
あまりに越境の感が強いものは尻込みします。
これなら、まだバリトンの曲でも歌った方が抵抗ないです。
私は、私の実施した方法自体が間違っているとは思いませんが、
私がそれを実施することそのものは、やはり間違っていると思います。
救いがあるとしたら、
声質として違和感のないテノール歌手が、
私が指揮する椿姫で、私の実施する方法で歌ってくれることです。
私にとっては、最も正しい状態が作れることこそ、
この越境の非を回復するチャンスであります。
・・・ということで、日時は来年5月15日(金)、
場所はサロン・ドゥ・アヴェンヌです。
えー、実はもう予約受付しています。
きっと鬼がひっくり返って笑うでしょうけども。