« 寄稿3周年、曲独楽師 三増 巳也 | Home | 花屋は見てます »
2014/10/31
皆さん、おはようございます。
椿姫に有名曲はいくつかありますが、
誰でも耳にしたことがある曲はただ一つ、
乾杯の歌ではないかと思います。
その乾杯の歌ですが、雰囲気の華やかさが目くらましとなり、
内容を精査することなどあまりないのではありますまいか。
ややもすると、健全なパーティの乾杯ソング、
という印象を与えがちなこの曲、
ヴィオレッタとアルフレードの論戦が、
実はこの段階で始まっているのです。
アルフレードは愛を主張し、
ヴィオレッタは快楽を主張する、
他の人達はアルフレードの歌にはおうむ返しで応じ、
ヴィオレッタの歌には別の言葉で返す。
その言葉はヴィオレッタに従うものであり、
この場では愛より快楽が優勢であることを示します。
そしてアルフレードはその空気に飲み込まれ、
快楽賛歌を唱和することになりますが、
それは彼もまた快楽の種を持っていることを意味します。
なぜならアルフレードは、ヴィオレッタが他に客をとらず、
独占できる状態になってもなお、ヴィオレッタを質素にさせず、
贅沢による花を咲かせようと試みるのですから、
今我々がイメージしがちな人物像よりは少し、
自分勝手で俗な発想の持ち主であることを
認識しておかねばなりません。
そこを見誤ると、単なる可哀想な恋人達の話、
という大衆演劇に貶めてしまいます。
そんなもの、誰もが見たいのでしょうが、
私はお見せする気はさらさらありません。
2014/10/31 09:41 | bonchi | No Comments