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日本舞踊では、身体表現のみならず、実は台詞回しの能力も求められる…と聞いたら意外に思われるでしょうか?
僕の稽古場で、定期的に稽古場公演が行われますが、毎回の傾向として、本番が近付いて、踊りの形が出来上がってくると、終盤の稽古では、台詞回しにもダメ出しが多くなってきます。
踊りなのに台詞があるの?と疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
比率的に言えば、台詞が全くない作品の方が多く、あったとしても一言二言だけというのが多いと思いますが、中には「橋弁慶」の様に、牛若と弁慶とが、互いに名乗りを上げ、対話する作品などもあります。
日本舞踊の、他のジャンルのダンスと異なる特徴の一つとして、御祝儀もの等を除けば、多くの作品において、踊られる人物の役柄が設定されていることが挙げられると思います。
前述した牛若や弁慶、そして曽我五郎や安倍保名などの様に、固有名があって、人物像が明確に定まっていることもあれば、「かつお売り」や「水売り」の様に、特定の人物ではないけれども、職業設定およびその職業から連想される気質が定まっているものもあります。
「手習子」や「羽の禿」の様に、幼くて可愛らしい女の子と設定されているものもあれば、「年増」の様に、ある程度年齢を重ねた女性が設定されていることもあります。
踊りの中での短い台詞には、短いながらも、その踊られているキャラクターの人物像、気質が集約されていたり、あるいは、その踊りの中で起こっている出来事が要約されていると感じます。
たとえば“かつお売り”であれば、台詞とはいっても「かつおー、かつおー」と言うだけなのですが、この一言の台詞で、出てきた人物がかつおを売る商売をしている人だと分かりますし、声の調子で、威勢の良い江戸っ子気質だと分かります。
そのたった一言でさえ、声に威勢の良さがなかったら、まるで没落した武士が不慣れな商売をしているかの様に思えて、踊りの雰囲気自体が変わってしまいます。
だからこそ、踊りと同等に、台詞も重要になってくると思います。
先日酒井は、日舞の稽古場公演にて、「いきほい」という踊りを踊りました。
これは、鎧を片手にいざ戦いに赴かんと血気盛んな曽我五郎を、今はそのときではないと、五郎の世話役である朝比奈(あるいはその妹の舞鶴)が鎧を引っ張って引き止めるという踊りです。
この作品の冒頭に台詞のやりとりがあるのですが、以下の通りです。
舞鶴「止めた。」
五郎「離せ。」
舞鶴「止めた。」
五郎「離せ。」
舞鶴「止めた止めた。」
たったこれだけのやりとりなのですが、実はこの踊りの内容自体、止めようとする舞鶴を五郎が離そうとすることの繰り返しで、この台詞が作品の全体像を表しているかの様です。
僕が踊ったのは五郎だったので、台詞は「離せ。」と2回言うだけなのですが、その、平仮名にして3文字の言葉を発するのが、意外に難しいのです。
この曽我五郎は、怪力の持ち主で、荒々しく無鉄砲なキャラクターです。
単純思考で、物事を深く考えることがなく、ある意味、子どもっぽい性格とも言えます。
冒頭の「は・な・せ」という一言で、五郎の人物像をお客様が想像出来るか否かによって、その後の踊りの見え方も変わってくるでしょう。
今回、この演目を踊るにあたり、現役の歌舞伎役者さんに上記の台詞を録音していただきましたが、
「はなぁ~あぁ、せえ~!」(文字で表現するのが難しい…)
と、結構高いキーで、瞬発的なエネルギーが突き刺さる様な発声で、確かにこの台詞を聞けば、声の主の力強さ、短絡さが、見えてくるかの様でした。
しかし、僕の声の音域では、それをそっくりそのまま真似ようとすると、キーが高くて裏返ってしまいます。
ポイントは、声の調子が途中で下がらずに最後まで上がっていくこと…下がってしまうと、落ち着いた雰囲気が出てしまうことを気を付けつつ、自分の出せる声で、途中で地声から裏声に切り替える箇所を決めたりしながら、試行錯誤していきました。
演劇の台本を読んでいると、出番の多い登場人物は、わりとその台本の台詞の中で、生い立ちやら性格やらが語られているのですが、出番が少なく、台詞の少ない登場人物ほど、なかなか人物像が見えて来ず、少ない台詞の中でキャラクターを確立するのに、俳優の力量が求められるかと思います。
踊りの中の台詞は、それに通ずるものがある様に感じます。
次回は、「表情」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。